仏陀の耳に念仏。
「馬の耳に念仏」。
……おっと、失敬失敬。
いや、他意も何も無い、言葉通りの意味です。
……原則。説法(セオリー、リテラシー、メソッド)は、誰も聞いてない。
ええ。
「人間は、考えるウマである。」なんて言葉もありますし。(無ェよ。)
……馬車馬のごとく働く、社畜の皆さん。
……ナチャラルに読者を煽って行くスタイル。(笑)
……そして、我が身に刺さる、ブーメラン。
冒頭のコトワザを踏まえて。
「説法を 聞いているのは 仏陀だけ。」
……なんて川柳が、あるそうで。
俗説としては「釈迦に説法。」の方が正しい言葉、なのですが。
※ ※ ※ ※ ※ ※
・「釈迦に説法。」
……わかってる人に、ツラツラ、素人が高説を解いてドヤ顔する様子。
・「説法を 聞いているのは 仏陀だけ。」
……拙い素人高説でも、熱心に聞いてくれるのは『わかってる人』だけ。
※ ※ ※ ※ ※ ※
伝わりますかね。
この、微妙な、言い回しのレトリックの、差。
つまり、ね。
誰ぞ、聞いて欲しいコトがあるから発信してるワケですよ。世の人は。
『オマエに云いたいんだよ。』って、想定している暗黙の聴衆層ってのが居るワケですよ。
でも、ね、
聞いて欲しい人に、聞いてもらえない。
世の真理ですね。(笑)
『マーフィの法則』にも、似た様な話が、あった様な。無かった様な。
わかってる人に、わかってるコトを、グルグルと説法シェアし続けても、ほぼ無意味なんです。
「わかる。」
「それな。」
「念。」
……ィャ。
……それを『わからない人』に伝えたいんだよ。
……『わかってる人』に賛同を得て、理解率 120% から 150% になっても何の意味も無ェんだよ。
……『わからない人』の 0% を 1% にしたいんだよ。
シビアな話。
処々其々、様々な事情を背負って、世の中に云いたいコトを訴えているワケですけれど。
結局。
ウマの耳に入って来るのは、異性のウマの発情・求愛の嘶きぐらいのモンかなぁ、と。
( = エロ絵、萌え絵、かわいい絵、などなど。)
それか。
馬舎の飼育員さんが持って来た、ニンジンのバケツの運送音ぐらいのモンかなぁ、と。
( = メシテロ。)
「誰が聞いてくれる。」と信じて、発信する。
それは、とても、とても大切なコトです。
……でも、ね。
……三蔵法師に聞かせても、玉龍(ウマ)に聞かせても、意味は無いんですよ。
……孫悟空、沙悟浄、猪八戒、に聞かせても、意味は無いんですよ。
長い旅の道々、様々な村人たちとの出会い、別れ、なんかを繰り返す中で。
村人の皆さんこそ、聞いて欲しいワケですよ。
天竺から持ち帰った、ありがたい経典は。
歴々の先達が未来に託した、セオリー、リテラシー、メソッド、は。
それを入手するに至るまでの旅の過渡に得た、経験や知識は。
……果たして、世の人々の、どれほどくらいに聞いてもらえるのだろうか。