人の死。

坂本九さん、……と言う歌手を御存知でしょうか。


勿論、多くの人が御存知なのですが。
「誰?」って世代の人も、意外と多いみたいです。
上を向いて歩こう』と説明すれば「あー、はいはい。」みたいな。
名前を聞いた事はあるけど、意識した事は無い、……みたいな。


1985年
御巣鷹山日本航空123便ボーイング747)墜落事故。
……あの時に急逝なされたんですよね、享年44歳。


多くは語りませんが。
誰からも愛された歌手、……と、それだけを告げて


子供の頃、両親から、祖父母から。
「良い行いをすれば、神様や仏様は、きっと見て下さっている」、と。
その様な情操教育を受けて、育って来た僕にとって。


あの悲惨な事故は。
そして、あの事故で「誰からも愛された歌手」が事故死した事は。
(無論、多くの犠牲者に対する哀悼もありましたが。)
(幼い僕には事実が大き過ぎて、ただ震撼するしかできませんでした。)
……良い行いをした人が、多くの人々が、突然に死んだ。
……深い、深い、深い、疑問の枷となりました。


『神様は、仏様は、どうして、あんな事をしたのだろう。』、と。


まだ、小学生でしたから。
親や学校の教育を鵜呑みにするだけでしたから。
……そこから経験と知識を派生させて、自学自考の段を経る術を覚えたのは。
……もっと、ずっと、後の事。
……『人間が死ぬ』と言う真実は、決して、単純では無いと言う事。


一例を挙げると。


阪神淡路大震災
東日本大震災


大小、様々な惨事を目耳にする度に。
友人や恩師の、小事とは言え不遇の死の一報を耳にする度に。
生命の儚さ、現実の厳しさ、色々な事を逡巡しました。


そうした色々な日々を踏まえて。
先日の、桜塚やっくんの、突然の事故死。
誰からも愛された著名人の、突然の、死。


『神様は、仏様は、どうして、あんな事をしたのだろう。』


幼心に抱いた、あの日の不思議な感覚が、胸の中に疼きました。
あれから、様々な経験を経て、色々な事を学んだつもりでも。
やはり今でも、死生の摂理については、考えがまとまりません。


御冥福を御祈り致します。