ろっく…

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戦争を
『したい』と願う
ヤツがいる…?


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小早川凛子、の、いつぞの祝日(記念日)SPイベント、にて。
……エイプリル・フール、だったかな?
……「オフィシャル・ブートレグがどーこー」って話があるのですが。
……キラー・バンビーズの黎明期のライブ音源の、未発表版がどーこー。
……「まだ40人しか客が居なかった頃の、伝説のライブの奴だっ!?」とか。


オフィシャル・ブートレグ
……まず。
ブートレグ」ってのは、著作者に営利が回らない「違法・外法の副産物」で。
海賊版』とは微妙にニュアンスが違うモノの、「海賊版」ぐらいの厄介モノ。
……、で。
「オフィシャル」な「ブートレグ」となると、やはり、著作者の営利度外視なのですが。
こちらは、著作者が、自ら、営利を放棄したけれど暗黙の許可を出したモノ。
もしくは、著作者に、ちゃんと営利が還元される「合法の副産物」。
プロとして金を取るには、いささか恥ずかしい、黒歴史(未熟な頃)の産物だったり。
音質が悪いとか、ミスがあったとか、何かの事情で以前は商品として流通できなかったり。
……そんなこんなの「いわく付き」ながら。
……世間では、妙なニーズがあるみたいなので「じゃあ、良いよ」って感じで妥協して、商品化。


えーと。
小早川凛子の話題で、ワンクッションを置いたのは。
今日の内容は、言葉の並びは「ガチ」だけど、それほど深くは考えていません、って、サイン。
なので。
「ガチ」目線からのシビアな反響は、寛大に御容赦いただけると、助かります。


忌野清志郎さんの「オフィシャル・ブートレグ」が販売された、とかで。
奇しくも、5月2日が命日であったコトもあり。
(併せて、X JAPANのhideさんの命日でもある。)
最近、ラジオで、忌野清志郎さんのミニ特集をヤってました。


……、で。
正直、生半可な価値観で、自論と私見だけで語るコトは、決して許されない。
そんな雰囲気も強烈な、ロックの神様。
……なのですが、その圧倒的な異才のオーラとは、裏腹に。
……誰が聴いても心に響く、そんな、不思議なカリスマ性の持ち主。
……とか。
……今さら、何を語らずもがな、だから何を語る意義も必要も無いのですが。


『善良な市民』。
上記の「オフィシャル・ブートレグ」とは、あまり関係が無い逸曲なのですが。


取り敢えず、どこかしらで、歌詞を調べてみて下さい。
何だったら、図書館か、レンタルCD屋で、音源を調達して、聴いてみて下さい。
ボクは、妄信者でも、ガチのファンでも無いので、「買って下さい。」とは言いません。
(ボクは、ラジオで聴いた後、改めて、図書館で借りました。)


なんつーか、何だろう。
結局「衝撃を受けました。」って、チープ(シンプル)に説明するのが、一番、伝わる気がする。
……それぐらい、ビックリしました。
……すげぇー、と、思いました。


カレンダーのデジタル・ロジックだけを見れば、この曲が発表されたのが、2006年。
それから、7年ほど、時代は大きく流れたのですけれど。
今も、物理的に『生きている』んじゃないか、……と、思った。
(「心の中で永遠に生きてるぜ!」とか、そんな、抽象的な観念論じゃ無くて。)
今の社会に身を置いて「それじゃダメだろ」って吠えてるのか、……と、思った。
今の世の有様に対して、今の言葉で。


逆に云えば。
2006年の時点で、生前の忌野清志郎さんが懸念した通りに、世の中が悪い方へと流れて。
「ほらな。だから、このままじゃヤバイって言ってるだろ。」って感じの警鐘にも聴こえて。
……これだけ、具体的に、社会の欠点を明確に啓蒙した芸術家が居るのに。
……こんなに多くの人々が、その啓蒙に心を打たれて、意を改めたハズなのに。
……どうして、世の中は、こうなっちゃうんだろうなぁ、……って。


誰も戦争なんか望んでいないのに、戦争をヤりたがってるヒトが居て。
もし、仮に、いざ、戦争が始まれば。
その戦争で悲劇に巻き込まれるのは「戦争を望んでいないヒト」であって。
それって、間違っているハズなのに。
その『間違い』を正す(糾弾する)コトが誰もできない、もどかしさ。
……、で。
……戦争をヤりたがってる(戦争をヤれば自分が得をする)人々の傲慢が、続く。


他にも。
「(政治的な意味で)コンクリート、と、人」を繋ぐ、金脈の傲慢とか。
単純多数決の名目で徒党と派閥が喧嘩してるだけの「中央集権型の議会制民主主義」とか。
色々と、2006年の、そして2013年の、引いては『平成の日本』の有り方を。
飄々と、切々と、粛々と、訴え掛けているのですけれど。


特に。
世の中が、戦争肯定へと流れていくコトへの、危機感。
それを、2006年の段階で、歌に篭めて。
2013年の、憲法改正集団的自衛権を、もっと好戦的に変えようぜ)の流れに対して。
死して後、時間差で「それやって、悲しい想いをするのは誰なんだい?」って問うて。
でも、どうせ、時の政治家は見向きもせず、人々を不幸に貶めるんだろうなって、絶望して。


なんか、もはや、理屈で説明できる感覚じゃないです。
スゴイなぁ、と、痛烈に心に刺さりました。
ちゃんと分かってたんだ、何もかも。
いや。
ちゃんと『分かってる』んだ。何もかも。今も。


「人は、物理的には死んでも、精神(心)は残る」。
観念論で、そんな言い草もありますけど。
正しいとか、まちがってるとか、それについての宗教的論説は避けますけど。
ただ、一つ、分かったのは。
忌野清志郎さんは、死んでない。
今、生きてるからこそ。
2013年の世相のグデグデを、今、見てるからこそ、ダイレクトに斬るコトができるんだ、って。
……どう考えても、そうとしか思えない。


『善良な市民』。


……2006年の、この一曲が訴える内容が、あまりにも今の世相を見事に斬っているのが。
……何て言うか、もう、ホント、スゴイな、……と。