あくのはな…

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悪の華
……とは、ほど遠い
灰汁(アク)の破那(はな)


(破那 : 造語。「断片」と似た様な意味だと思って下さい。)
(転じて「灰汁の破那」 : 部分部分の、随所の、異様なクセの強さ。)


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悪の華〜、可憐に咲く〜
♪ 鮮やかな色彩(いろどり)で〜
♪ 周りの哀れな雑草は
♪ 嗚呼、養分となり朽ちてゆく〜


鏡音リン悪ノ娘』より。(『悪』は「亞、と、心」。)


一瞬、初めて、タイトルを目にした瞬間。
パッと、そんな感じの世界観を期待したのですけれど。


なんつーか、むしろ。
『悪』でも無ければ、『華』でも無い。
養分となり朽ちていく側の、そっち側の雑草たちの、狂詩曲(ラプソディ)。(笑)


悪の華。>


何だろう。
第一印象は、視覚的には「気色が悪い」としか感じないのですが。
へうげもの』ほど、嫌悪感が無い。
(『へうげもの』は千利休のネームバリューに奢った、作り手の傲慢しか感じなかった。)


確かに『悪の華』は。
視覚的には、「気色が悪い」のですが。
特に。
強引に、無理に、丁寧に描き並べられた、わざとらしい歯、が。
進撃の巨人』の巨人、ぐらい、グロテスクなのですが。


…………、が。


ドラマツルギーとして、視覚には囚われず、全体的に見てみると。
「気色が悪い」では無く、「醜い」でした。
……ええ。ニュアンスが、微妙に変わるのが、不思議です。
……「気色が悪い」も「醜い」も、どちらも要約すると『キモい』なのですが。
……角度が変わると、それが、モードだったり、哲学だったり、ポジティブに変わりますよね。
……最たる例として、太宰治の名前を挙げれば、ニュアンスが伝わるかしら。


そんな感じ。
不快、……では、無いです。
愉快、……でも、無いですが。
毒を喰らわば皿まで、みたいな、食指が引かれる不思議な風味。


見た目の「気色の悪さ」さえ、耐えられれば。
心の「醜さ」のドラマツルギーに、感性が(良い意味で)侵蝕されて、染まる感じ。
……場面によっては、あの、鋭角的にわざとらしい「気色が悪い」描画、を。
……スタジオジブリの『海がきこえる』に似てる、と、錯覚するコトさえ、あります。


ただ、まぁ。
なんつーか。
気色が悪いインパクトで、逆のアプローチから、視覚的に、客を寄せたいのかなー、とか。
ドラマツルギーの深み、を、作り手が理解していないんじゃないか、みたいな感も有り。


「気色の悪さ」なのか。
「醜さ」なのか。


この作品を通して、作り手が、受け取り手に、どっちを本旨として伝えたいのか。
それが、まだ、読み解けない。
だから(視覚的に)「気色が悪い」が、真っ先に、感想として立つ。
そこから、時間差で、じわりじわりと(内容的に)「醜い」へと変貌していく。
……それは、期せずして齎された、偶然の産物なのか。
……もしくは、作り手が、そこまで深く、深く考えて作っているからこその隠し味なのか。


駄作、か。
快作(怪作)、か。
その両極のポテンシャルを、同等に潜在する、珍しいタイプ。
(近例として、おなじ二律背反を抱いたアニメに『Another』がある。)


最終的には、レイプか、殺人事件にまで発展するんじゃ無かろうか……。
スクールデイズ』だって、漠然と骨子は知っていたけれど、アニメではアレだったし。
『Another』に至っては、割りと、ガチで殺戮アニメとして頑張ってたし。
でも、『悪の華』は。
分かり易い、わざとらしい、性倒錯や殺戮などの刹那的な刺激には逃げずに。
このまま、メンタルを鉤爪で引き裂く感じで、ダラダラと話が進むのだとしたら。
それはそれで、楽しみと云えば、楽しみなのかも……?


つーか、正直。
実写の方が、もっと「気色の悪さ」「醜さ」を伝えられると思うのですが。
『Another』でさえ、実写化できたんだから。
二時間モノの劇場版で、実写映画で『悪の華』。
桐島、部活やめるってよ』ぐらいのセンセーションは起こせるんじゃないかなぁ、……と。


逆に、云えば。
わざわざ、アニメで「気色の悪さ」を無理に描こうとする作り手の心意気が理解できない。
アニメにしたら、アニメオタクの客層が、金を流してくれる、……とか。
存外、その程度の打算だけ考えて、ヤッツケで作られているのであれば。
「気色が悪い」とか「醜い」とか以前の問題だよなぁ……。
……イナゴの佃煮を、二流の芸人に食わせて。
……嫌がるリアクションを、バラエティとして放映して、笑いを誘う。
……そのれぐらいの、時間の無駄。
……そこには「気色の悪さ」も「醜さ」も無く、ただ『不快』だけが映し出される世界。
……だったら、イヤだなぁ、……と。