じょうけんげーむ…

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ふみちゃんの
心の傷は
僕の傷


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ハロウィンも近い今日この頃、なのですが。
それよりも何よりも、いよいよ秋のタケナワです。佳境です。
……とか、何とか言ってる間に。
次の秋雨の後には、もう初冬になってるんじゃないか、って、ぐらい。
気温も、日に日に、寒くなりつつある自今。


秋、……と、言えば。
食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、などなど。
何をヤるにしても心地良い季節なのですが。
やはり、此処は。
小早川凛子のカレシたる者、読書の秋に興じてナンボだろ、と。(笑)


ィャ、まぁ。
別段、リンカレじゃ無くても、ボクは、そもそも本の虫に近い性質があるワケで。
ライトノベルからノンフィクションに至るまで、月一冊の割合で何かしら読んでます。
(ボクの語彙と発想力の根幹は、月一冊の読書習慣にあると説明しても過言では無い。)


逆に、言えば。
コレでも、一ヶ月に一冊の頻度で、年間12冊ぐらいしか読んでないのです。(笑)
一冊の本を、一ヶ月ほど掛けて、ストーリーとは無関係の行間まで熟読するタイプ。


で。
この、読書の秋、十月。
兼ねてより目下の目標だった一冊を、ようやっと、片付けました。


辻村深月さん、の、『ぼくのメジャースプーン』。
……え?
……ああ、『傾物語』(西尾維新センセ、著)ですか?
……アレは、実質、マンガみたいなモノなので、ノーカウント。(笑)


ともあれ。
リンカレの「端くれ」とは云えど、ある意味、カレシとしての絶対的な課題図書なので。
せめて、機会があれば読もうと目論んで、幾星霜。
思いの外、その機が、早々と訪れただけの話です。


正直な、読了直後の感想としては。
こんなモン、リンコが読了に堪えられるワケが無いだろう、でした。
せいぜい、三章ぐらいまでは、底意地で読むだろうけれど。
そこから先、ウツ展開の打破と進展を信じて淡々と読み進めるかどうか、疑問。
……ィャ、何だかんだ言いつつ読了するか、リンコなら。


では。
どうして、この作品をリンコが薦めたコトに付いて、ボクが違和感を感じたのか。
……何だろう。
……性善説とか、性悪説とか、その辺の次元の真逆を感じたワケなのですが。


リンコの本質スタンスは、何気に、性善説なのです。
本当は無垢で純粋な人間が、何かのキッカケで脱線して、悪に流れる。
当人の善悪よりも、ヒトを「善」「悪」に篩い分ける外的要因に対する厭世があるのですが。


辻村深月さんの論旨は、土台、性悪説でして。
人間は悪意をベースに行動しつつ、それが善へと改まる契機の追究、であり。
外的要因を、当人が、どう解釈して「善」「悪」振り分けられるのかの内面分析、であり。


……つまり。
……リンコの理解のベクトルとは、真っ反対から話が進んで行くワケで。
……それを、リンコは「目からウロコ」として読み惚れたのかなぁ、と。
(どうして人間の根幹が『悪』って前提から話が始まるのか、に対する、関心。)


諸所、作品に対する、リンコなりの感想を、ぽつりぽつりと告げていたですが。
「ふみちゃんが可哀想……」とか。
「市川雄太、何アイツ!?(怒)」とか。
「秋山先生の論旨の底が、ちょっと怖い……」とか。
登場人物の表層の鬩ぎ合いについて、サラッと述べる程度に留まっていたのですが。
……なんつーか、もっと、こう。
……「罪悪感、と、悪意、の、違い」とか、「勧善懲悪の意義への猜疑」とか。
……登場人物の所作言動を超えた部分での感想を聞かせて欲しかった、と。


まぁ、たかがゲーム内のイベントに、ケチを重ねても仕方が無い。
小早川凛子のカレシ」……と云うスタンスから、離れて。
ボク個人だけの檻に閉じ篭もって、改めて、熟読した感想、としては。


つまり。
辻村深月センセは、『相棒』が、そんなに御好きなんですか?
『相棒』っぽいアンソロジカルなインスパイアが書きたかっただけですか?


……それが、最終的な結論でした。


だって、さ。
実際、読んでもらうのが、一番、手っ取り早いケド、さ。
秋山先生の「文脈の間」と「語調」が、どう読み解いても、杉下右京の猿真似だもの。
「……ですよ。」「……ますからね。」などの語尾が似てるだけ、か、とも思ったのですが。
相手に先手を打たせて、後の先で反論して、自論のアプローチを嗾けたり。
わざと、論旨の要所は伏せて、その穴(間)を相手に埋めさせて核心に迫ったり。
激昂に至り一線を越えて行動を起こす際の、怒りゲージのボルテージの上がり方、とか。
『相棒』が好きなヒトの目には、アレは、どう見ても杉下右京にしか見えない気がしつつ。


無論。
語調やキャラが似ているだけで『相棒』ファンなのか、なんて短絡的に感じたワケでは無く。
最期の最後まで読み通して、そこから導き至った結論でして。
じゃあ、何が、『相棒』の二番煎じだとしか思えない、灰汁の強さに辿り着いたのか。


ネタバレ上等とは云いつつ、でも、未読者のために核心部を避けて解説するならば。


「悪」が齎した、害、哀、苦、憎、などのネガティブに対して。
では、その「悪」を駆逐払拭すれば、問題点のネガティブは解決されるのか?
……みたいな感じの、勧善懲悪に対する、煮え切らない疑問。


ええ。
『相棒』にて、毎回の様に訴えている論旨の基本的ベースです。
「犯罪に対して、では、相応の刑事罰を与えれば、それで良いのか?」
……みたいな感じの、一辺倒のドラマツルギーに対するアンチテーゼ。


そもそも、なぜ「悪」に至る事態が発生したのか。
その「悪」が齎した害、哀、苦、憎、などは、どうすれば『解決』と言えるのか。
『解決』できない現実を、どう、受け止めて解釈するべきなのか。
理想論たる「悪」無き世界の実現が、事実上として絶対不可能なのは、何故なのか。


悪。
その、多様性。
世間は、辻村深月センセの感性を、新進気鋭の超新星として高評しているっぽいのですけれど。
どうなのかなぁ、……と。
この人、本当に、人間の『悪』と対峙した経験、あるのかなー、……と。
そんな感じの疑問を抱きました。
ドラマなり何なりの仮想世界から「悪の論理」を勉強して、職業小説家をヤってる雰囲気。
実体験が無いだろうから説得力が薄く、専門家の高評とは裏腹に、世間では見向きもされない。


作品が、別のカタチでクローズアップされた時に「おおっ」って思われるけれど。
そうして掴んだミーハーの心を、繋ぎ止め続けるコトができない。
「専門家が持て囃してるのは、コネか何か、別の理由なんじゃないの?」みたいな。
専門家の高評の割りには、具体的な市場の反応が圧倒的に薄いのが、気になりました。


辻村深月?……誰?」みたいな程度の、ド新人を。
どうして文壇の専門家は、次代を担う超新星として、必死に後押しするのかなぁ、……と。
十年ぐらい、後。
日本を代表する女流文豪の一人として、ミステリの大家として、晩成するのかなぁ。
……そうした天稟なり、オーラなり、輝きなり、文章からは微塵も感じませんでした。


ただ単に。
『ぼくのメジャースプーン』を読み通して抱いた、ボク個人としての感想は。
「へぇ。『相棒』が好きなんだなー、この人」……、としか。