りと…

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毛先とか
衣服で見えぬ
桃の蕾

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どっち付かず、の、誰彼かまわず。
傍目に見れば羨ましい限りのハーレム人生、なのですが。
生来気質の優柔不断の成れの果て、ついには、死ぬか生きるかの瀬戸際人生。
そんな、蒙昧珍奇な運命に振り回される希代の女ッたらしの男の子の誕生日。


……ィャ。
……School Days』の伊藤誠の話じゃ無いよ?(笑)


改めて、考えてみりゃ。
誠とリトが同じ誕生日、ってのは、数奇な偶然だよなァ、と。


To Loveる ダークネス


そんなワケで。
数多の女子キャラよりも、誰よりも、萌えのポテンシャルが郡を抜いて、突出している。
「萌える!お兄さん」(違っ)、結城梨斗の誕生日。


原典では、掲載誌の都合やオトナの事情によって。
「何が、どうあっても、乳首を描いてはダメ」とする倫理制約を架せられて。


性欲的に、乳首を描きたいのに描けない欲求不満、……と、云うよりは。
絵師として、わざと「不自然」な構図を強いられるのが、我慢ならない、みたいな。
自然体を実直に描けば乳首が見えるのが構図的に美しいのに、それを第三者理由で制約されて。
髪の毛、湯気、背景、人影、などを「不自然」に配置して隠すが故に、構図が不自然になり。
……それを、むしろ、楽しいと感じる絵描きも存在する一方で。
……それがあるからイラストとしての真の魅力が半減してしまう現実に、鬱屈する絵師も居て。


単純に、乳首が見えるとか、エロいとか、……って話じゃなくて。
元来、見たまま、ありのままを描くのが、イラストとしての本領なのに。
それを、性的(倫理的)理由で許されず、イラストとして美しくない小細工を強いられて。
どうにも、それが、我慢ならなくて。
描きたいモノを自由に描けない、そんな息苦しさからの、脱却。


その結果のスピンオフ、に、見えるのよね。
『ダークネス』、って。
俺が描きたいモノを描きたい侭に描かせて欲しいって云う、創作欲。
ぶっちゃけ、原作者二人、は。
女体に関して本質的に性的興味が無いのかなー、とも感じつつ。


「女の子をどーこーしたい」って云うリビドー、じゃ無くて。
「女の子がどーこーされる作品を描きたい」って云うクリエイティビティ。


だから。
乳首が見えるとか、見えないとか、まったく気にならないのかなァ、と。


そりゃ、まぁ。
原典を読んでると「いや。不自然に隠すぐらいなら、素直に見せてくれ」とは思います。
否。
『ダークネス』を読んでて、乳首が見える見えないって点は、まったく意識に無いです。
どちらかと云うと。
内容的に、それぞれの向かう先の思惑の交錯が分かり易いから、好きです。
ミステリ、とか、サスペンス、とか、そっちの感覚が触発されます。
リビドーは、まったく反応しません。


殊。
デビルーク三姉妹に関しては。
ララよりも、ナナよりも、モモが一番好きなのかしら。この原作者二人。(笑)
それとも。
読者の間で地味に大人気だから、モモを主軸に据えて客を釣りたい思惑なのかしら。


とか。
エロい云々とは、まったくどーでも良い観点から見るのが楽しい、最近の『To Loveる』。


取り敢えず。
せっかく、自由に乳首が描きまくりたくて『ダークネス』なんてスピンオフまで広げたのに。
アニメだと、結局、乳首を自由に見せるコトが侭ならない、元の木阿弥ってのは。
本末転倒を地で行く、なんだかなぁって感じの印象。


……「DVDやBDでは見られるよー♪」って、商売目的なのかなぁ。
……結局、性欲よりも創作欲よりも、カネが第一欲なのか。この原作者二人。(笑)


エロスには、本質的に興味が無い(……のかも知れない)二人のオトコが。
性欲以外の粋と技術を高めて、世に送り出すエロ漫画、ってのは。
やっぱり、ただのエロ漫画とは毛色が異なる面白味が深いです。
功名心で技術を磨いてエロスの極致を究した江川達也さん、ぐらい、深いです。(笑)


深いんだか。
浅はか、なんだか。(笑)