ぱらりんぴっく…

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栄光の
その先にある
人の真


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感動、ねぇ……。


ロンドンオリンピック
世界総意でアスリートを讃えるスポーツの神儀祭典どうのこうの、って。
まぁ、終わったモノに難癖を付ける、なんて詮の無い野暮なコトはしません。


つーか。
ボルト、新たなる最速伝説、とか。
柔道<レスリング。「持ち上げたー!そして落としたー!!」、とか。
西洋剣を構えども武士の底意地。男子フルーレのラスト2秒の奇跡、とか。
東京五輪を知る老紳士。颯爽と、英国の芝を愛馬と共に闊歩する雄姿、とか。
♪ヘイ♪ジュード……、とか。
ボクも、それなりに、色々と感動の名場面って奴に心を打たれたワケでして。


だから。
総合的な感想は「人並み。」の一語に尽きるのですけれど。


各種のメディアの大騒ぎから、一夜が明けて。
フッ、……と、気になったコト。
今、冷静になって、初めて気が付いた。
五輪期間中、ボク自身も、まったく気が付いていなかったコト。


オリンピック、ってのは。
心・技・体、の、三本柱から成る身体芸術の粋の境地、なのですが。
ほぼ、同時期に。
パラリンピック、……なる国際イベントも、開催されるのです。
時間的に、いささかの差があるのですけれど「同時期」と説明しても遜色が無い時期に。


パラリンピック
健常者と比較して、身体に何らかのハンディキャップを抱える人々の、五輪。
インターネットの匿名性を盾にして、一部の心無い人々、いわく。
心・技・体、の、『体』が欠けた退屈な運動会、……と、揶揄するヒトも居ます。
ええ、もう。
決して赦されぬ、あまりにも残酷な言い草だと思います。
匿名性の弊害たる「言葉のテロ」だと思います。
『言葉』とは「言刃」であり、確実にヒトを傷付ける危惧を秘める凶器であり。
それを自覚し、悪意に寄りて振りかざす人々が存在する現実に、恐怖を覚えました。


しかし。
インターネットの向こう側に居るのは、アナタと同じ、人間であり。
悪意も然り、否、無論。
善意、厚意、懇意、敬意、などの人間美に溢れる感情も、数多、存在します。


人間は、決して、美意識や哲学にて真っ当に染まるほど、高尚な存在では無いです。
……、が。
人間は、決して、劣情や嗜虐に溺れて利己と悦楽に狂うほど、下劣な存在でも無いです。


人間は、悪くも、良くも、人間なのです。


とか。
そりゃ、世界規模の神儀なのだから、相応に大きなコトも考えつつ。
でも、フッと気が付いたコト。


どうして、日本のテレビ、新聞、雑誌、ネット、などの各種メディアは。
オリンピックに関して、アレだけ大々的に騒ぎ狂ったと云うのに。
パラリンピックに関して、まったく、無関心なのだろう、……と。


メディア各位も、言及こそしないけれど。
上記、匿名性を言い訳にして、パラリンピックの意義を嘲蔑した「悪意」と同等。
注目度の宣伝性も無いし、経済効果も期待できないから無視、なのだとしたら。
なんつーか。
公然たる「悪意」が、こうも堂々と罷り通る情報産業国家ってのは、恐ろしい、と。


パラリンピックとか、どーでも良い。」
そんな冷辣な態度で、オリンピック以上に懸命に頑張る人々を、無視しておきながら。
どの舌先が「オリンピックは感動でしたね」なんて酔い痴れるコトができるのか。
よほどの無神経か、でなければ、かなり高度の『悪意』です。


オリンピックが人々に齎した、各種の感動に関しては、否定はしません。
全力と底意地、意固地と意義、全てを賭して真っ向から激突した平和的聖戦なのですから。
……しかし、否。
「オリンピックに感動した」と騒ぐ大衆の総意には、大きな疑問と違和を感じます。


パラリンピックに関して、まったく、何とも思わぬほど。
体育会系の美学、や、運動哲学、に、無頓着で無関心な人間が。
オリンピックから何を得られるモノか、……と、思います。


一時的なポジティブ感情の爆発、と、全世界的な話題の共有。
そりゃ、相応、大きなモノは得られたと思いますけど、ね。
パラリンピックを介しても、改めて、それを得ようとは思わないのが解せない。


オリンピックだから、感動を求めて、観る。
パラリンピックだから、誰とも話題を共有できないし、無視する。


……その「都市型の人間連携遵守の影に隠れた、非人道的な自分本位主義」を。
……世の人々は『感動』だと称して、胸を張り、分かち合うのですか?
……その小学生レベルの、一過性の話題の共有を『絆』だと主張するのですか?


みんなが注目しているヒトだけ、応援して。
誰も見向きもしないヒトの努力は、無碍に黙殺して。
その非暴力的な差別主義の蔓延に、何の疑問の抱かないのかなぁ、この世界社会は……。