いじめ…

夏休み。
特に、「友達がいない」系の子供たちにとっては。
不安定な情緒を大きく左右する、危険な時期。


「友達がいない」にカギカッコを付けたのは。
その多義性を、幅広く、受け止めて欲しいからです。


弁当を一緒に食べる奴は居るけど、そいつと居ても義務感しか感じない。
放課後を供に過ごす奴はいても、そこに充実感が無く、退屈あるいは孤独。
塾や部活で会話が成立する交友を形成してはいる、けど、その関係に疑問。
……逆に。
いつも一人でいるけど、不自由なんか感じないってヒトもいて。
そんなヒトは、なまじ「友達がいない」ヒトより、日々が充実していて。
本人は『友達』と思っていないけど、実は『友達』として機能する関係とか。
インターネットなどで『友達』に類する充実関係が確立されていたり。


当事者によって、その認識の幅が無尽蔵なのですが。
まぁ、子供たちに唐突に架せられる、一ヶ月強の『非日常』。


学校に通い、教室で椅子に座っているだけの毎日だけど。
その単調で機械的な日々が、社会的存在の容認として錯覚して。
その、唯一のアイデンティティの空間が、一時的に閉鎖される、とか。


あるいは。


学校は苦痛でしか無く、とにかく、家に居付いていたい子にとっては。
この一ヶ月間は、ずっと、自由に、家に居付いていられる至福の期間で。
しかし、それは、時限的な天国で。
一ヶ月後には、また、地獄の学校へと呼び戻される、とか。


学校が好きで、心の寄り代として依存している子にとっても。
学校が嫌いで、心の監獄から解放された子にとっても。
……この、一ヶ月強の、イレギュラーな日々ってのは。
……不安定な情緒に、何がしか、大きな作用を齎すトリガーでもあります。


つまり。
嫌な予感、ってヤツを、口外するのは恐ろしいのですけれど。
大津市のイジメ自殺の報道を、判然と眺めている子供たちの中に。
未曾有の自殺連鎖の波が波及したら、大変な事になるぞ、……と。


そうならない事を願いますし。
そうならないための、ゲートキーパーセーフティーネットが充実しているし。
何より。
情報の多様化に、今の子供たちは、昭和の子供たちよりも柔軟性に長けてるし。
自殺の報道を受けて、安易に「私も死のうかな……」って流れには、ならないですが。


例えば、自分が死んでも。
大津市のイジメ自殺みたいに、社会が重要視してくれるとは限らない。
また、一時的に騒ぎ立ててはいるけど、その本意は、結局、視聴率至上主義で。
自分が自殺した事実を「どーでも良い」と見做されるのが、耐えられない、とか。
子供は子供で、それぞれの哲学と経験で、しっかりと考えているワケですから。


否。
例え、一件でも、二件でも。
「ああ…自殺したら、皆がこんなに私の存在を重視してくれるんだ…」って。
その錯覚がトリガーになって、後追い自殺が発生しないとも限らない。


…………、とか。


今件の、大津市のイジメ自殺に関して、色々と自分なりに考えて。
でも、軽々しく言及してはいけない、重大な問題って気もして。
そうでなくても。
平素は、テレビアニメを出汁に、ふざけた内容を書いている当ブログだけに。
何を、どう、思った事をまとめれば良いか、わからなくなって。
この一週間、書いては消してを繰り返してました。


たどり着く結論は、いつも、一つなんですけどね。


だから、死ぬ前に助けろよ。
……って、過去の『イジメ自殺』で問題点は明確化してるじゃん。
逆に、過去の『イジメ自殺』は、何の教訓としても機能して無いよね。


冷辣な結論で締め括るのは、酷ですが。


過去の『イジメ自殺』が、今回の「大津市のイジメ自殺」を止められなかった様に。
今回の事件も、未来の『イジメ自殺』を止めるための教訓には活かされないな、って。
大義名分、名目上、大人たちは「そうはさせない」って、息巻いて騒いでますけど。
元号が昭和の頃から、同じコトを繰り返してるんだもの。


テレビは、新聞は、雑誌は、ネットは、メディアは。
今回の一件のみならず、『イジメ自殺』って社会現象を。
世間の注目を集めるための宣伝材料として、金の成る木としか考えてない。
刺激的で、悲壮で、残酷な現実。
中途半端なドラマや、映画や、ゲームや、アニメや、漫画より。
余程、人々の気を引くコンテンツ産業
……そのために、産業として拡充させるために、必要以上に盛り上げて。
……でも、本質的な問題点が、まったく無視されていて。


で。
悲劇は、形を変えて、脈々と続く。


やるせない。
その一語に尽きる。