さらだ…

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「この味が良いね」と君が言ったから
7月6日は、サラダ記念日。


(詠み人 : 俵万智


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冒頭、ちょっと難しい、日本の民俗宗教観の話。


日本には、森羅万象、八百万、種々様々な神様が混材しています。
神学的に、ギリシャ神学と共通する神威観が面白いワケですが。
(『古事記』主軸の天照大御神唯一神とする「神道」とは異なる話。)


ギリシャ神学と比較して、日本民俗神学が、決定的に違うのは。
擬人化と云う、レトリック的な「縛り」が無いコトだったりもします。
ネコだったり、キツネだったり、イヌだったり。
紙切れだったり、甲冑だったり、雲だったり。


貧乏神が!?>


正直、貧乏神で「萌えアニメ」を目指すのであれば。
猫神やおよろず』たれ、とか、美少女妄信主義を押し付ける気は無いですが。
おじゃる丸』の貧乏神に倣うべきである、とは、思いまス。(笑)


…………、が。


燃えアニメだった、ので。
ボクの管轄外なので、何を言及するコトも侭ならなくなりました。(笑)
何とゴタクを並べようと「だって燃えアニメだし」で解決してしまう、強硬。
まぁ、ジャンプ系の漫画なので、何をツッコむにしても野暮の一語なのですが。
(これで原作が電撃ナントカ系や角川系だったら、ボロクソに酷評してた。)


簡単に説明すると。
三千院ナギ涼宮ハルヒに対するアンチテーゼを下地とした、ドタバタ。
ある意味、第一印象は『彼氏彼女の事情』の宮沢雪乃だった、ですが。


世界の幸福を一人で独占する、絶対的(幸福)存在の桜市子に対して。
「その幸福を皆で分け合おうぜ」、と。
這いよるニャル子さん……否、貧乏神の紅葉。


カネも持ってるし、容姿も端麗だし、勝ち組まっしぐらと見せ掛けて。
三千院ナギと同質の不遇不幸に苛まれる、希代の薄幸キャラなのですが。
涼宮ハルヒぐらいの(本人は無意識の)世界革変スキルで唯物幸福を取り込み。
三者が「コイツを野放しにするとヤバイ」って、右往左往する話。


前提として。
三千院ナギ、と、涼宮ハルヒ、を、足して 2 で割った、波乱の人生体質。
桜市子は、そもそも、幸福なのか。不幸なのか。
……まず、そこの命題提示が、読者に伝わってないんじゃないかなー、と。
……だから、アグレッシブな力技で、強引に笑いを引き出す手法に。
……あるいは『めだかボックス』みたいに、西尾維新センセが絡んでいれば。
……もうちょっと、笑いの毛色に、毒とか箔とか付いただろうに。


ともあれ、ニャル子さんよろしく、市子に這いよる、混沌(貧乏神)。
ただの色ボケのニャル子さんと比較して。
割りと『神さま』として、まともなコトも主張している、貧乏神なのですが。


紅葉「もう怒った。コロスッ!!
市子「それは貧乏神じゃなくて死神の仕事……」
紅葉「知るかァー!!死ねぇえぇーッ!!!!」


まぁ、ジャンプ系のギャグ漫画なので、深くは言及しないですが。
一つだけ。
市子に這いよる紅葉さん。
アンタは貧乏神なのか、それとも疫病神なのか。
……それが、作品の本質であるハズの部分が、まったく解せない。
……作者が「どっちでも良い」と考えてるなら、この作品は、駄作です。


多くのヒトが、誤解している事なのですが。
貧乏神、……ってのは。
誤)誰かに取り憑いて、そのヒトを貧乏にする。
正)そもそも貧乏なヒトの所にやって来て、居座る。


「貧乏神が来るから、貧乏になる」のでは、無く。
「貧乏だから、貧乏神が来る」のです。
逆に云えば。
貧乏でも幸福なヒトの所にも、貧乏神は、居ます。
猫神やおよろず』の貧乏神と説明すれば、ニュアンスは伝わるかしら?
ともあれ「貧乏 = 不幸」の錯覚に起因する、本質的かつ都市生活的な、誤解。


で。
市子に這いよる紅葉の場合。
市子に取り憑いて、市子を貧乏(不幸)にするのが、スタンスなので。
「やってるコトが、貧乏神では無い」のです。
(カネがあっても人得的な「貧乏」で、そこに惹かれて寄り憑いたワケでは無い。)


……にも、関わらず。
貧乏神コメディとして大看板をかざす、ってのは。
貧乏神たればこそ、何かしら、疫病神とは異なるベクトルで、勝ち組の市子を諭すのか。
それとも。
神学に無頓着で、貧乏神と疫病神は同一の神だとでも信じ込んでいるのか。


その辺の所が、中途半端なクセに。
正論とゴタクをタテ軸に、暴力とバ破壊をヨコ軸に。
強引に、笑いを誘おうと躍起になって無理に突き進んでる感じが。
何て云うか、なんだかなぁ、……と。
でも。
久しぶりに、屁理屈を捨てて素直に見れば、面白いと感じたので。
今季、意外な、ダークホース。


まぁ、アレですよ。
アナタのためにサラダを作ってくれる、伴侶なり、友人なり。
そうしたヒトたちと共に生活していながら、何か、不満を感じるのであれば。
アナタの家にも、貧乏神が居座っているのかも知れません。
そして、誤解をしないで欲しいのは。
貧乏神がいるから、と云って、アナタは決して不幸では無いです。


座敷童子に類する家神で、何かしらの訓戒を背負ってやって来ているのですから。
鋭敏に感性を研ぎ澄まし、声無き声に耳を傾ければ。
「貧乏神も、そのうち、居なくなりますよ」とか、ご都合主義で誤魔化す気は無いですが。
アナタの心内に巣食う、漠然とした不満は、解消されると思いまス。


貧乏神、ってのは、そんな『神さま』です。
貧乏神が原因で、栄枯盛衰がマイナスに転じるのでは無い。
栄から枯、盛から衰、プラスからマイナスに転じる過渡期を察知して、寄るのです。
そこに気づいて、下り坂を食い止めるべく、自意で改心すれば。
貧乏神との共生を理由に不幸になる、なんてコトは、無いです。
また、マイナスがプラスに転じれば、貧乏神は去ります。


……まぁ。
……疫病神が好奇で取り憑いた場合、対処の策は、ボクは知りませんが。(笑)


ある意味。
カネはある、ヒトが集まる、でも、慢性的に何かが欠乏している
そんな桜市子の心のスキマに、這いよるどころか土足で踏み込んで来た紅葉は。
市子の幸福体質を不幸体質に転換して嘲笑する、疫病神などでは無く。
至極、真っ当にして正当な、貧乏神なのかしら。