るいず…
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好きならば
「好き」だと言えば
良いモノを……
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随分と、長々と物語が冗長に進んだ、と、思ったら。
何とも「空々しい」と云うか、「青々しい」と云うか。
薄曇りと長雨の続いた鬱陶しい日々から一転して、清々しい青空になった、みたいな。
……うん。晴れたから良し、みたいな。
<ゼロの使い魔>
あの、グデグデの「ツンデレ」ごっこ。
どう落とし前を付けるのか、と、思ったら。
アニメでは、至極、平均的で普遍的な、超王道の恋愛ファンタジーに収まって。
後腐れも違和感も無く、めでたしめでたし、って、自己完結したのが不思議な感じ。
小説は小説で、また、違った読後感を得られるのかなー、とか。
ともあれ。
ツンデレの金字塔を打ち立てようとして、完成したのは卒塔婆でした、……的な。(笑)
良くも、悪くも。
この作品が「ツンデレ」の在り方の御手本、っぽいスタンスに祀り上げられたコトにより。
作品の人気の乱高下が、そのまま「ツンデレ」の人気の熱冷の幅に直結したワケで。
頂点への上り坂、と。
地獄への下り坂、と。
コンテンツ産業、……ってのは、人々の嗜好の変化の波を、まともに受けるワケで。
その過渡期の栄枯盛衰のド真ん中を、見事に突き進んだワケなのでして。
「ツンデレ = ルイズ」の汎用不文律は、平均的に、マスメディアに認知されました。
(顧客の声は、人それぞれ、時間によっても急変化してアテにならないので、度外視。)
(マスメディアは、コンテンツとして取り上げるに際し、長期スパンでの実数根拠をベースにしてる。
……なので、世の中の人々が唐突に見向きもしなくなっても、余力でゆっくりと沈静化していく。)
……そう云う意味では、金字塔。
否。
話題性の衰亡枯渇が、営利実績に直結するのが、産業の酷な現実であり。
この作品がコンテンツとしての「ツンデレ」の魅力を提供維持できなくなったコトで。
(ワンパターンの度が過ぎて、大量集客後の客層の繋ぎ止めに失敗した。)
(「ツンデレ」には集客性は無い、と、マスメディアも見限って、商標価値を見捨てた。)
この作品に対する倦怠と飽和が、そのまま「ツンデレ」ブームの下火の時期と直結して。
……そう云う意味では、卒塔婆。
そりゃ、当然。
マスメディアやミーハーが、何と騒ごうが。
「自分は好きだ」ってファンの人々の、底支えと支出営利があってこそ。
加熱と急冷の波に翻弄されながらも、作品としては、ずっと続いているワケでして。
『ゼロの使い魔』そのものが終了した、とは、言ってません。
……、で、以下、個人的な私感。
たぶん、ボクが中学生や高校生の時に出会ってたら。
ボクの個性の根幹を形成した、ものすごく大きな作品になったと思う。
ボクの場合、それは『スレイヤーズ!』だったワケですが。
そんな感じで、以後の誰かの人生観に、圧倒的な嗜好影響を与え得る一作品として。
それだけの大きなポテンシャルが『ゼロ魔』にも有るんだなー、……と。
今になって、改めて、すげぇと恐れ入った次第。
テレビで放映中とか、連載中だけ、躍起になって盛り上がり。
作品が終了したら最後、脳から完全に消去される使い捨て、……では無く。
いつまでも、いつまでも、脳に残って、行動や思慮に影響を与え続ける効果。
『ゼロ魔』も、誰かに、それだけの浸透力を与え得るぐらいの、深みがあったんだなー、と。
厳密には、ボクが感じた読後感は、まったく真逆なのですが。
真逆。
今、『スレイヤーズ!』と出会っていたら、たぶん『ゼロ魔』ぐらい軽視してたかな、と。
日が経つにつれ、脳から完全に消し去られる使い捨て、だったかな、……と。
中学生の頃に出会っていたからこそ、ずっと、記憶に刻み込まれているだけの話であって。
中学生の頃に『ゼロ魔』に出会っていれば、そっちが記憶に刻まれてただろうな、……と。
母に言わせれば「ライトノベルなんかに毒された子供は、文学嫌いのバカになる」、と。
当時のボクの嗜好を、心底、心配していたワケですが。
実際、『スレイヤーズ!』に毒されて成長した、ラノベ狂のバカ息子のボクは。
書棚に夏目漱石を並べるほどの、書生崩れにシフトチェンジしたワケで。(笑)
ライトノベルが子供の感性に与える影響の、奥の深さに驚嘆したり、しなかったり。
活字への抵抗が薄れ、読書の時間を有意義だと感じる様になった、……とか。
専門家レベルで、何か、思春期心理学の領分で、影響があったんでしょうかね?
ボクは結果論至上主義者なので、その辺の小理屈については、至極どーでも良いです。
ともあれ。
ミーハーの加熱で祀り上げられたライトノベル、ってのも。
長い、長い目で見れば、一概に一喝全否定もできないんだなー、と。
目からウロコの思い、ヒトシオ。