愛国論、自説。

公務員(小学校教諭)だった、母は。
君が代」「日の丸」に関して、先天的に反対派です。
かつて、人道に反した大義によって甚大な被害を齎した、近代日本の過去に対して。
深く、深く、遺憾の意を抱いています。
戦争論の賛否について、反論は受け付けません。母の主張で私が反論されるのは筋違いです)


某社の普通の会社員(部長だか、その辺の上司)の、父は。
君が代」「日の丸」について、自身の賛否を口外する事は、一切、無いですが。
公務員の母が、日本国民たるナショナリズムに対して反意を貫く姿勢には、反対しています。
戦争教育の在り方がどうのこうの、と、言うより。
「ならば、公務員を辞めろ」と、一刀両断です。


そんな家庭で、生まれ育ったので。
私自身は、いわゆる『天皇制』の緒論に関して、間接的に中立の価値観を抱いて成長しました。
「中立の価値観」と云うか、「どっち付かず」と云うか。
むしろ。
何故、こうも、人々は右と左に分裂して、子供の喧嘩みたいな意地を張り続けるのだろう、と。


愛国とは、何なのか。
右の人も、左の人も、何を考えているのかが、サッパリ分かりません。
天皇陛下は、一心、世界の人々の安寧と平穏を、粛々切々と願っておられるのに。
……どうして、喧騒と不穏に明け暮れるのだろう。皇族一意の御意向を踏み躙ってまで。
……左の人も、右の人も。
……「日本国を愛する姿勢」の在り方について、自分と意を反する人を攻撃するのだろう。
……異なる考え方に、それぞれが、在るべき姿勢で臨む自由を是と認めないのだろう。


とか。


こうした話題は、インターネット上では、暗黙の禁忌とされる話題の一つです。
ともすれば、ここに大量の反論が書き殴られるのみならず。
私自身に、私の家族に、私の友人や知人に、実害が及ぶ可能性も、あります。
なので。
黙って見ないフリに徹するのが、インターネット上に於けるリテラシーの原則です。


……、が。


本日は、天長節です。
……殊、今年は、天皇制の本質について、考える機会の多い一年であったので。
……私自身の個人の想いを、坦々と、雑記する自由を、御容赦願います。


では。
平成の世に生きる、今の子供たちにとって。
「日の丸」とは、「君が代」とは、どの様な存在なのか。


恐らく、子供たちにとって、もっとも鮮明に印象が強いのは。
なでしこジャパンの世界的躍進、と、歴史的快挙、の、象徴的シンボルでは無いか、と。
これが、僕たちの、私たちの、『日本(オール・ジャパン)』なのだ、……と。
学校教育の場では、地域により、都道府県により、担当教員により。
「日の丸」「君が代」の賛否について。
どちらかに傾倒した、一方的な価値観を、ゴリ押しされたりする事例もあるでしょう。
けれど、学校教育での偏重(賛であれ、否であれ)に寄らず、個人個人の目線で。
『日本』と云う国家の存在を、自分の目線で自学する、ものすごく大きな契機であった事でしょう。


なでしこジャパン、のみならず。
スポーツの場に於いて、「日の丸」は、「君が代」は。
日本のみならず、世界各国の、国旗は、国歌は。
平和の架け橋として機能する、機能的かつ政治的な意味を持つ、シンボルなのだ、……と。
学校教育の垣根を越えて、その意義について、自学する機会となった事でしょう。


それを、踏まえて。


平均的に、『天皇制』に関して、子供たちが学習する際。
総意、「日本国の象徴的存在」としてのスタンスを基軸として、教育されます。
(国事行為などの政治的教育や、過去の世界大戦などの歴史的教育は、それぞれによって違う)
(上記「日の丸」「君が代」の在り方の格差についても、その影響の余波)


「日本国の象徴的存在」としてのスタンス。
東日本大震災の折々、被災地に向けて、天皇陛下が哀悼と慰問と激励を手向けられ。
人心に添われ、復興を願われ、平穏と安寧を祈られ。
……その御姿を、テレビなどを介して、子供たちも目にした機も多かった事でしょう。


誠心。
慈愛。
恩恵。


世界の人々が、日本人を「美徳と品格の民族」として尊敬し、賛賞した。
その、日本国の象徴的存在としての、品格。


天皇陛下の御姿をこそ、天皇陛下の御言葉をこそ。
子供たちが、真に学ぶべき、愛国心の鑑である、……と。
私は、切と、そう感じました。


国を愛し、人を愛し。
迷走する教育の中で、子供たちが、誰からも教わる機会の無い、心。
日本国を、日本人を、愛する、心。
日本国として、日本人として、世界の人々と幸福を共に願う、心。
それが、元来、愛国心である、……と。
私は、切と、そう感じました。


愛国心、って、そう言う事ですよね。
いかに、万国を差し置いて自国を愛するか、では無く。
いかに、自国の誇りを以って万国を愛するか、ですよね。
……その、多義的な国際性の中の、愛国心の揺るがぬ至心を。
……子供たちは、天皇陛下の御姿から、御言葉から、各々が自学して然るべきだ、と。


その上で。
過去の戦争の哀歴を反省して「日の丸」「君が代」の強要に反意を抱くのも。
未来の日本の躍進を誇り「日の丸」「君が代」を自ら高らかに誇示するのも。
どちらも、対等、それぞれの子供たちの望ましい未来だと思います。


愛国心について、『日本』について。
自分で考えて、自分で学習する機会が、無い。
愛国論者が、自今、『日本』の教育の浮き足に対して憂うべき点があるとすれば。
子供たちの心の中に愛国心が根付かず、『日本』の存在が空虚となる未来に不安を抱くのであれば。
真に考えるべき論点は、その部分だと思います。


そして。
大人たちが考えるほど、子供たちは『日本』を軽視しては、いない。
それぞれの目線で、それぞれの愛国心を、子供たちは、ちゃんと自考自学している。
……私は、そう、感じました。
……今年、特に、切と。


だからこそ。
天皇陛下の御目は、一片、曇る事も無く。
凛として、明瞭、『日本』の未来を真っ直ぐに見据えておられるのだと思います。
日本国民を、『日本』を、愛しておられるからこそ。
日本国民を、『日本』を、信じておられるからこそ。


その、凛々しい御姿を、凛々しい御言葉を。
子供たちは、愛国心として、学ぶべきであると思います。