ひととせ…

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過去を経て
未来を紡ぐ
今、ひととせ


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取り敢えず、まずは「ぱんにゃ」で画像検索してみて下さい。
……たぶん、絵を見た瞬間。
……大抵のヒトが「何だコレ?」としか思わないコトでしょう。(笑)


で。
ARIA』には、然ほど興味の無い、諸姉諸兄。
取り敢えず「アリア社長」で画像検索してみて下さい。
……たぶん、絵を見た瞬間。
……大抵のヒトが、やっぱり「何だコレ?」と思うコトでしょう。(笑)


ネコのイラストのディフォルメ、と、コミカライズ。
別段、この手の手法(『猫』の珍生物化)は、珍しい話では、ありません。
むしろ、普通に猫にしか見えない阪本さんの方が、最近では珍しい部類かも知れません。
……ィャ、そんな事は無いですね。(笑)


ましろ色シンフォニー


結論だけを言えば、どこかで見たコトがある「泣き」ストーリーの二番煎じ、と、云うか。
典型的な、安物の、ギャルゲー、と、云うか。
特談、特記、熱く語る素養なんぞ、何も無いアニメなのですが。


声優的には、すごく、面白かったですケドね。
殊。
ツンへタレと似非セレブを「ピュアに演じて」と無茶振りされた小野涼子さんの苦悶は必見。
いつぞ話題に挙げた、ド淫乱のキス魔の天羽みう先輩を、力丸乃りこさんが演じていたり。
小野涼子さんの盟友、櫻井浩美さんが、愛理の母と「ぱんにゃ」を兼任していたり。
そもそも、何をさて置いても。
勝ち組のうりゅー君を、水島大宙さんが演じているコトを最初にツッコむべきですが。(笑)


その辺の話は、置いといて。


最終話。
みう先輩が、永年、保護して寵愛していた「ぱんにゃ」との、離別の話。
「ぱんにゃ」には「ぱんにゃ」の家族が居て、その家族の元へと還してあげる段になり。
情が移って「ぱんにゃ」を自然に還したくない、と、泣きべそを掻いて離別を惜しむ場面。
生じっか、万感を、強引に全面に押し売りする事も無く。
ただ、淡々切々と、想いの丈を素直に「お別れするのはイヤだよぉ…」の一語に籠めて。
力丸乃りこさんの「泣き」の演技の手腕、知られざる真骨頂の一場面。


そして。
それを、サラリと受け止めて。
ギャルゲー的な予定調和の美談で纏めて慰める、勝ち組の大宙さん@うりゅー君。


瓜生「未来は変わる。それは、良い事だけじゃなくて、悪い事に変わるかも知れない」
みう「うりゅー君……」
瓜生「でも、変化を恐れて立ち止まっていても、未来は変わる」
みう「……。」
瓜生「良くなるかも知れない。悪くなるかも知れない。それは、同じですよ」
みう「…………うん。」
瓜生「進みましょう、先輩。……前へ、未来へ」
みう「……そうだね……うん、そうだね」


様々に変容する未来の、無限の可能性の中で。
その変遷が、過去となり思い出となり宝物となり。
どんな未来でも、それは、いずれ過去となり、思い出となり、宝物となり。
……だから「ぱんにゃ」には「ぱんにゃ」の未来があって、それを尊重してあげよう、と。
……その門出を見送る、僕たちの未来を大切に受け止めましょうよ、と。


奇しくも、今季の『たまゆら』では。
時系列の哲学的に、まったく、真逆の結論に到達した奇遇も、あり。
(未来は、どんな形にも変わる。だからこそ、絶対に変化しない過去は、掛け替えの無い宝物である)


不動の過去、と、変動の未来、の、それぞれの美学の両天秤。
何とも、不思議な読後感だったのですけれど。
それで、気が付いたコト。


未来の変化への不安と躊躇、そして、拒否にも似た固執
それを受け入れ、未来を迎え入れ、変化を信じて前を向く、心。


ましろ色シンフォニー』の、未来肯定の美学の結論が。
ARIA』と、まったく同じカタチで収まったのが、殊更、不思議な感覚でした。
何だって、本旨がまったく異なる、二作品が辿り着いた「未来学」の結論が。
事実上「一言一句、違う事も無い」と説明しても大袈裟では無い程に、合致するのか、と。


文章の差異はともかく、論旨の内容としては。
変化を恐れる水無灯里に対して、未来を肯定するアリシア・フローレンスが告げた言葉と。
変化を恐れる天羽みうに対して、未来を肯定する瓜生新吾が告げた言葉は。
……ほぼ、一緒、でした。


どんなに居心地の良くても、「今」が、ずっと続く事は無い。
けれど。
未来の先にある、新しい『今』は。
「今」と同じぐらい、掛け替えの無い時間かも知れない。
そして。
「今」は過去となり、思い出となり、ずっと未来を、ずっと『今』を、支え続ける。


……とか。


たなみに。
たまゆら』は、その「今」をこそ、大切にするべしと結論付けてましたけれど。
「今」の次に「今」を、さらに「今」を重ね続けて、その結果が、未来の『今』になる、と。


『今』を迎え入れるために「今」を大切にする。
「今」を大切にした結果の果てに『今』が待っている。


……何て言うか。
……しみじみ、なう。
……そんな、年の瀬、ひととせ。