そうしょき…

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新橋に
飛び込んできた
大ニュース


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ちなみに。
日記の日付は2011年12月17日付け、ですが。
この日記を実際に筆記しているのは、2011年12月20日の、午前06:00だったりしまス。


極東アジアの諸国を巡る、一連の政治に関する話。
考えてみれば、南北の政治的都合ってのが、双方の期せぬ形で連動していたってのは。
ある意味、天命天運に沿う、祖国統一を真摯に願う民族的な宿命が齎した数奇、なのかも知れません。


前説。
2011年12月17日の、朝。
韓国のイ・ミョンバク大統領は、日本の野田首相と非公式に会談するために、日本へと向かっていたそうで。
……ちょうど、その時間になるんですよね。
……北朝鮮の歴史の歯車が、名実、実際に激動を始めていたのは。


日韓非公式会談は、予定通り、冷瞭ながらも穏便に執り行なわれて。
双方のメディアの諸評が朝刊や朝のニュースを右往左往する2011年12月19日の、朝には。
誰一人、その後の激震を、予想していなかったワケでして。


本旨。
2011年、12月19日。
その日の正午12:00に向けて。
東アジアの某国二国にて、歴史的に珍しい「政治的な奇行」が予定されていました。


一国、日本。
現役の総理大臣が、市街地にて、本人による大衆へ向けての政治的説明会を予定。
一国、北朝鮮
国営放送局が『特別放送』を放映すると、粛々と、発表。


そして、正午。
先に動いたのは、北朝鮮でした。
金正日総書記の急逝を、もっとも悲痛な心痛を以って祖国全民に告げる、……と。


同時刻。
日本の野田総理は、予定していた市街地での大衆政治説明会を、急遽、中止。
前例の少ない異例の政治的行事は「前例の少ない外交的一大事」によって、中止となった次第。


ウチは、政治をどうこうするのが目的のジャーナリズムなブログでは無い、ので。
この一件、深く、掘り下げて考察する気など、まったく無いのですが。
真面目な考察を望むなら、真面目なサイトを閲覧して下さい、……と。


一人の、日本国庶民として。
政治を左右しない範囲での、個人的見解の吐露を、御容赦いただけるのであれば。


なんて言うか。
2011年の12月19日は、世界史的に、とても凄い日だったんだなぁ、……と。


いや、今年は、最初から最後まで、こんな感じの一年でしたけれど。
2012年は、今年よりも、もっと大変な事態が次々に起こるとも、されていて。


どうなるのかな、世界。
そんな感じの、漠然としたコトしか、考えられません。