まじこん…
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マジコンはオワコン
割れ厨 \(^o^)/ オワタ
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そんなこんなで。
いわゆる「大阪、秋の陣」に決着が付いたワケですが。
大阪維新だか、大阪都構想だか、そんな感じの地域政変の片隅で。
……今日、ひっそりと事実上の終焉を迎える、ある、文化の話。
文化、っつーか。
犯罪、なので。
決して、手放しに、謳歌や郷愁を語るのは禁忌である、と。
努々、肝に銘じた上で、話半分に読み飛ばして下さい。
俗に『マジコン』と呼ばれていた、違法データ再生装置の類。
2011年12月に、絶対的に規制する法令が施行させる、とかで。
一般市場から、完全に、姿を消す運びとなりました。
ええ、まァ。
別段、大阪維新とか大阪都構想とか、まったく関係が無い話ですが。
先の選挙の結果、平松さんが市長でも、橋下さんが市長でも、施行されるワケですし。
極論、マック某さんが大阪府知事になっても、施行されたワケでして。(笑)
大阪日本橋の名物(…なのかなぁ)が、また一つ、消えるコトとなります。
ィャ、日本各地、アングラのガジェットツール店は、点在しまスけどね。
でも、日本各地、どこのアングラガジェットツール店でも、買えなくなります。
インターネット通販も、たぶん、市場封鎖されると思います。
個人オークションでも、入手は不可能となるのかしら。
ええ、再三再四、書きますが。
電子万引きを幇助する、犯罪のための道具なので。
別の例を挙げれば、空き巣を手助けする万能ピッキングツールみたいなモノなので。
倫理やら道徳やら以前に、こんなモノは無いに越したコトは無いのですが。
むしろ、対応が、随分と遅かったと云うのが有識者各位の諸論なのですが。
犯罪であるコトを、一時、無視して。
不思議なガジェットツール、として、興味本位だけで見た場合。
「何だコレ?」みたいな、想像の楽しさが大きいツールだったワケで。
ニンテンドーDSで、ゲームボーイやファミコンが遊べる、とか。
机上の空論で云われても、現実の尺度では想像も出来なくて。
実際に、一度ぐらいは遊んでみたかったなぁー、……と。
「市場から全滅する」の一報を受けて、改めて、感じました。
こんな感じのイロモノ道具が、大阪日本橋、や、東京秋葉原には。
過去、大量に、そこかしこに、点売(転売じゃないよ)されていて。
※ : 点売。……造語。点々と、小さな店がアッチコッチに潜んでいるサマ。
「その場所に行かなければ、触れたり、買ったり、できない」。
そんな感じの、御当地ならではの、不可思議な閉鎖性こそが。
日本のアングラ電気街としてのオタロードやアキバの、アイデンティティ。
……だった、ハズ、なのですが。
新宿に行っても、池袋に行っても、買える。
梅田に行っても、高槻や茨木や千里や吹田に行っても、買える。
日本各地、どこに行っても普通に買える、フランチャイズのチェーン商品。
そんな、しょーもない付和雷同の多数決資本主義に、まんまと睥睨して。
オタク文化は、アングラは、大丈夫なのかなー、……と。
ライトノベルや、ゲームみたいに。
「何を出しても、先達の真似」みたいなコトにならないのかなぁ、……と。
人々が、買い物と云う文化行動に、飽きるんじゃないかなぁ、……と。
金銭の流れがタンス預金に停留して、市場が本懐するんじゃないかなぁ、……と。
カネを使うのが、楽しくない。
どこに行っても、同じモノしか無い。
それが、東京秋葉原の目指した、電気街の聖地としての未来像なんですかね?
そして。
大阪日本橋は、そんな東京秋葉原を目指しているんですかね?
「アキバでしか買えないモノを、関西でも扱う」と云う初心を、そのままに。
現実に立ち返ると、ものすごく、難しい問題なんですよね。
じゃあ、ここまでの話を統合すると。
うにうに。は、マジコンが買える犯罪都市を望むのかい?、と、なるワケで。
違う、そうじゃない。
けれど、だいたい合ってる。
犯罪に直結する、しかし、刑法に縛られない。
そんな奇怪な「現実」を、実際に、手に触れられると云うのは。
ものすごく、情緒や情操教育に、良い機会になりました。
逆説的に、電子犯罪を、ボクなりに真剣に考える契機となりました。
それを踏まえた防犯啓蒙に、微力ながら、協力できる様になりました。
(マジコンを介した電子万引の、悪辣と実状を分析して報告する、と云う形で)
例えば。
どんなに、啓蒙が徹底しても。
どんなに、刑法が厳罰化しても。
どんなに、犠牲者が出ても。
覚醒剤や大麻が、変わらず、市場の裏に蔓延していて。
その理由は、草の根の防犯運動が、上手く行って無いからだと思うワケで。
ノーブレーキ(ピスト)自転車にしても。
それで第三者が不幸になるのに、まだ、乗り回しているヒトが居るワケで。
「手前勝手の個人の遊興が、別の誰かに損害を与える」と云う意味では。
マジコンも、似たり寄ったりの状況じゃないか、……と。
みたいな。
一つのツールを軸に、こうした諸々を考える機会として。
『マジコン』と云う単語と概念は、ボクにとって、すごく大きな意味があるのですが。
それが、「企業の営利」と「個人のワガママ」などと云う、単純なカネ勘定のために。
イエス or ノーの二極論で、単純全否定される、……と、云うのは。
逆に、物騒なコトでは無いか、とも、思います。
好奇心を刺激する機会の、喪失。
犯罪を直視実考する機会の、喪失。
地域のアングラ市場の独自性の、喪失。
一部の大手ゲーム企業の著作権の大金対価、と、引き換えに。
マジコンの消滅が文化に与える損害、って、どんな規模になるのかな、……とか。
まったく、手前勝手の度が過ぎた、詭弁ですが。
上記の詭弁を撤回して、ゲーム企業の正等な営利と安全が潤濁に保障されて。
その安穏の結果に辿り着いた、ゲーム産業の未来の末路が。
マリオやモンハンなどの、ワンパターンコンテンツの模倣と反復なのであれば。
絶望した、と、言わざるを得ない。
真顔で。
普通のヒトが考えた、普遍的なコンテンツの、粗製濫造。
それが、司法と資本主義が求めた、ゲーム産業の理想の未来なのですか?
普通じゃないヒトが考えた、突拍子も無いコンテンツの、革命的躍進。
それが、日本のゲーム産業を、ここまで躍進させたのに?
(外法と防犯のイタチゴッコの中で、編み出された新概念と云うのもある)
(最たる例が、電子コンテンツのダウンロード販売の手法論)
→もともと無料でデータをヤリトリしている集団の方法を、正等商売に転化させた。
→それまでは、物理的メディアを介して売買する発想しか考えて無かった。
今後、ゲーム産業が、常識とワンパターンに座礁して、止まった時。
次は、誰が、その背中を押して、次の未来に牽引するのかなぁ……。
結論。
でもね。
じゃあ、マジコンの台頭と繁栄を認めると、どうなるのか。
電子ドロボーが増えて、企業に甚大な実害損益が発生する、ので。
マジコン撲滅に関する一連の動向は。
商売の神様、と、司法大国の日本政府、が、下した、正しい判断です。
その部分は、決して、読み違えないで下さい。
正義とは、決して、悪を否定する物では無い。
正義とは、ヒトとヒトとの不和で生じる実害損益を防衛する物です。
マジコンの存在が悪、なのでは無く。(…ィャ、まぁ、悪だけど)
マジコンが齎した実害損益を防衛するための。
そのための、正義。