おおさかいしん…

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変えてやる!
「橋下威信」(大阪維新
此処に在り!


見向きもされぬ
府民の異心


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威信 : 権威に睥睨し、盲目的に信じて媚び、へつらう様。
維新 : まったく新しい状況へと、強引に転換させる様。
異心 : ホンネとタテマエの、右往左往。


げふんげふん。


知らぬ内に、日参閲覧者数が1000にも及ぶイキオイに拡大した、当ブログ。
もともと、一日50人のライブハウス感覚で運営していたので。
近年、一日200人の市民会館レベルの顧客拡大でさえ、震撼の境地だったのに。
今や、厚生年金会館ぐらいの人気ブログと相成って。
……ごめん、ちょっと風呂敷を広げ過ぎた。(笑)
……トークショーで1000人を収容できる大阪府のイベントホール、って、どこがある?


ともあれ。
投票が締め切られたので、ようやっと、大口を叩けます。
(投票前に私見を述べると、第三者の投票活動を左右する、禁忌だと思ってたので自粛してました)


いわゆる、『大阪、秋の陣2011』。


実際、今の読者の中に、何人ぐらいの大阪府民がいらっしゃるのか。
大阪府外の読者各位には、本日の内容は、蚊帳の外である事を最初に陳謝します。
そして、大阪府民の読者各位。
誰が、誰に、投票したのか。
ぶっちゃけ、そんなコトは、知ったコトでは無いです。(笑)


ボク自身、何を考え、誰に投票したかを力説する気も、ありません。
出た結果に、難癖を付ける気も無いです。


そして。
そもそも、ボクは、ブログで、政治選挙を左右できるだけの発言力が欲しいと、常々、考えていて。
「ボクは維新の会を応援します」と宣言すれば、橋下さんに1000票が動く。
「ボクは維新の会に反対します」と宣言すれば、平松さんに1000票が動く。
……それぐらい、具体的で、現実的な、野心を持って、日記を書いています。


……と云う、言下の下心まで、ハッキリと明示した上で。


橋下さんは、言いました。
「公務員が支配する、旧態依然たる政治のシステムを、ぶち壊す」、と。
平松さんは、言いました。
「ビジョンの無い情熱だけの破壊活動は、危険の極みである」、と。


ええ。
大阪市長選挙の、ガチの、タイマンバトルです。


……が。
同時に行なわれた、大阪府知事選。
七人ほど、候補者が選挙戦を繰り広げていたそうなのですが。
誰が、何を考えているのか、まったく情報が、ありせまんでした。


テレビでは、いつも、平松vs橋下。
府知事選の話は、一切、報道せず。
市長選に関して、連日連夜の総力特集。
……実際、大阪市民では無い、ボクは。
……だから、橋下さんにも、平松さんにも、投票できませんでした。
(府知事選には、七人の候補者の中から一人を選出して投票した。)


ええ、もう一度、書きます。
テレビは、メディアは。
大阪府知事選、七人の候補者について、只の一言も、情報を発信しなかったのです。
平松、橋下、二氏の政情ばっかり、繰り返し、報道したのです。
橋下、平松、両氏それぞれの主義心情『だけ』を、逐一、丁寧に、報道したのです。


なんつーか。
この選挙。
誰が、市長になっても、府知事になっても。
日本は、旧態依然と、ダメな状態は同じだ、と、確信しました。


政治のリーダーに寄らず「昔のまま、ダメが続く」と確信した理由。


ジャーナリズムが、マスメディアが、無力。
「ペンは剣より強い」と言われた、近代ジャーナリズムの市民性が、完全に、機能停止。
視聴率が取れる話題ばっかりを、ドラマツルギーやバラエティーとして、盛り上げて。
考えているのは、政治では無く、商業。
……そして、無視され続ける、有権者


大阪府の選挙の話ですが。
これは、47都道府県、すべての日本国の選挙の有権者に対して、一概に言えるコト。
国民が持つ1票の、紙切れ化。
ジャーナリズムと、マスメディアによる、選挙のショービジネス化。


政治を運営する能力の無い、人々を。
政治を判断する能力の無い、人々が。
機械的に数字だけで餞別する、体質だけを受け継いだ「ギリシャ型の民主主義ごっこ」。


これでは、ダメだ。
もう、誰が、何をやっても。
日本は、変わらない。


そう、感じました。
コレが、日本の未来を占う縮図の歴史的決戦である、と、メディアが騒ぐのであれば。
その結果は『選挙と云う名のバラエティー』で、結論が付けられた、……と。


ジャーナリズムが、マスメディアが、インターネットが。
こうした「情報 = 営利」の算段を軸として、『選挙』を続ける限り。
この日本国派、今までと同じコトが、今までと似た様なカタチで、続く。


先の東日本大震災で、被災地に山と溢れるガレキを見ても。
放射能でウチの子供が被害に遭ったら可哀想」と、他の道府県は。
一部の市民の過剰な放射能差別によって、被災地の被害を見て見えぬフリ。
「じゃあ、被災地の子供たちは?」って質問には、まったく回答をせず、耳を塞ぐ。


そうした、地域的な一大(放射能)差別による、陰湿な復興妨害の横行を。
『オール・ジャパン』『がんばろう、日本!』の名の下に、同時進行させる。


結局、自分の生活圏内でしか、物事を考えられず。
結局、自分の生活圏内に、テレビや新聞や雑誌やインターネットが転がっていて。
結局、発信された大量の情報を、大量に消費するだけの、無為な情報浪費社会。
……その、結果。
……弱き者の声無き声が、多数決の暴力によって、掻き消される。
……その、繰り返し。


投票された市民の声が、開票情報として具体化されるより、ずっと前から。
一人が、紙切れを一枚、銀色の箱に放り込むより、ずっと前から。
その一票に至るまでの数日間、人々の生活を取り巻く社会的状況の現実から。
すでに、日本の未来は、明善と判明していた。


政治の具体性なんか、どっちでも良い。
人々の目を引く、ショービジネスとしてのバラエティー性が求められていた。


そんな選挙だった、でした。
『大阪、秋の陣2011』は。


何が、大阪維新だ。
何が、オールジャパンだ。
結局、自分の手が届く範囲が平穏なら、それ以外は、どーでも良いんじゃないか。


中学生の生徒会役員選挙と、同レベルの価値しか無い選挙だと思いました。
そして、その、子供の選挙の真似事のシステムによって導き出された、タテマエの結果が。
ボクの生活を、具体的に右往左往する事実に直結しているのが、ただただ、恐ろしい。