ろうきゅうぶ…

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弧を描く
重いボールに
馳せる「想い」


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籠球部。




「籠球(ろうきゅう = バスケットボール)」部。


……要するに、そう云うコトか。


つまり。
三国志やら、太閤記やら、何がしか無骨な作品が美少女によってリメイクされる風潮。
コレはスラムダンク』の美少女化、ってヤツですか。(違)


ロウきゅーぶ!


ネットを見据えて、呼吸を整えて。
足のバネを締め、腕の力を抜いて。
放物線の弧をイメージしつつ、ボールの重さを確認しながら。
手からボールが離れる数瞬の、無心。


その間、試合中の実時間は、ほんの一秒か二秒だけど。
ドラマツルギーとしての演出で、十秒ほどの時間の尺を裂いても良いと思う。


むしろ。
この作品の根幹が「バスケットボールを介した、思春期群像劇」なのであれば。
そうした、一瞬の『間』をこそ、重視するべきだと思う。
その、スポーツマンシップ特有の『間』(演出時間で十秒の時間の尺)を工面するために。
小学生のヌードシーンは、合切、割愛しても良いから。


毎回、不必要に、小学生のセミヌードシーンが挿入されて。
それが、ある意味、この作品の真価としての売り所と見做されて。
「むしろ、バスケやスパッツは、どーでも良い」みたいな、本末転倒の状態なのですが。


ええ、ボクも(ネット上では)ロリコンの端くれですから。
小学生のセミヌードシーンに、鼻の下を伸ばしてハァハァしてる、……っぽい雰囲気で。
湯気で見えない「ちっぱい」に、オタク然と興奮しているフリをするのがセオリーなのかしら。


このアニメに関しては。
着替えや、風呂は、いらない。
そんなシーンを差し挟まなくても、汗に濡れた体操服やスパッツだけで、充分に萌える。


むしろ。
着替えや風呂のシーンの尺が、ストーリーの「萌え」所を妨害している。


あるいは。
葛藤と忸怩に塞ぎ困惑する友人を励まそうにも、言葉が見付からない。
あるいは。
それが恋心だと知識では理解していても、遺伝子が異性を認識できないから反応に悩む。
あるいは。
今までの練習の成果を信じつつ、一心、ボールがネットに入る事を切と祈り、放る。


そうした、諸所の、少女たちの心の動きを強調するために。
余分に、さらに十秒、時間を裂いて「止め画」で視聴者を待たせても良い。
その、絵が止まっている様にも流れている、時間の『間』こそが。
この作品の原作者が、行間を介して訴えんとしている『萌え』の勘所、……だと思う。


そりゃ、売文屋は、サービス産業なので。
読者のゴキゲン伺いのために、部分部分。
そうした、「媚び」や「萌え」も差し挟まなきゃダメなのでしょうけれど。


もったいないなぁ、……と。
中途半端なエロシーンのせいで、作品の本意が、伝わっていない。
みつどもえ』や『こどものじかん』と同列で、小学生の「性」の特異だけが評価されてる。
作品を通して言わんとしているコトは、全然、ベクトルが違うのに。


ロウきゅーぶ!』の見所を、着替えや風呂にしか見出せない短絡的なヒトの多さ、こそが。
ひょっとしたら。
この作品の、底の浅さを如実に反映する、厳然たる「真価」かのかも知れませんケドね。


どんなに言葉が洗練されていて、内容が繊細で、描写が丁寧でも。
そこに、心だか、想いだか、要するに「中身」が無いのかなぁ……。
だから、見目のインパクトばっかりしか、視聴者には見てもらえないのかなぁ……。


原作も、そうした寸止めエロスだけが高評の理由なのだとしたら、不憫です。