すらまっぱぎ…

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阪本(さん)も
スカーフ取れば
ただの猫


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そう云えば。
「笹原の御曹司が五つ燃え」って以外に。
取り立てて『日常』に関して、具体的に感想を書いてない気がする当ブログ。


一年以上も前に、アニメ化を予言していたってのに。
何この薄情な仕打ち。(笑)


<日常>


ィャ、ツッコミ所が満載で、掘り下げれば面白い作品なのですよ。


例えば。
来栖柚子だかP子だか見分けが付かない、安中さんも好きです。
縁日の的屋で、コルク鉄砲で、茄子を撃ち落とそうとして。
茄子に釘が仕掛けられていて、ヤクザな親父に逆ギレされて。
「もう、あと一発しか弾が残ってないよぉ……」って話。
そう云う時には、迷わず、的屋の親父を撃て、と。(え?)
テレビに向かって、無言でツッコんだりもしていました。


……みたいな要素が、
……星の数ほど点在していて、見てるだけでも一苦労です。


殊、メガネ(水上麻衣)に関しては。
キャンプで日本酒のカップ酒を寝酒にする豪気は、そのままに。
アニメでは「ノンアルコールのソーダ」って二重トラップを仕込む、など。
原作でも最強なのに、アニメでは三割増ほど増強されていて。
笑うとか、ツッコむとか以前に、ガチで真剣勝負な心持ちです。
雰囲気とキャラに呑まれたら、ボクの負け、……的な。


否。
なんつーか。
アニメの『日常』は。
ボクの中では、基本、全否定だったりするのが事実です。
「コレは、シャフトが作るべきだった」って持論は、永劫、取り下げないでしょう。


全否定の理由。
あの作品は、一コマ静止の漫画で見せてこそ、一撃が重い。
習字で言うと「止め」のワビサビ、そして映える「はらい」の美学。
その辺の、緩急のメリハリが、アニメでは、完全に、無いのです。
音楽だったり、セリフだったり、物理的な動きじゃなくて。
画面内で動きが止まる = 「止め」のワビサビ、じゃなくて。
文脈を止めて、また動かす、紙面媒体だからこその、技。
……それが、無い。


アニメはアニメで、連続性だからこその加速度と突進力があります。
それは、漫画とは、まったく異なる味となって感性に刺さります。
上記に提示した、『全否定』の根幹は、ただ一点。
ボクが求めているモノと、違う……ってだけのナニサマ気取り。


それを踏まえて。
上記の全否定を踏まえて。


トランプピラミッドの話。


初めて。
漫画と同じモノサシで、『日常』にハマった。
ボクの中で、あの話の間だけ「(習字の)止め」の状態でした。
「ああ、あらゐけいいち氏の著作『日常』だ」って、初めて、実感。
すげー。
あの漫画がアニメなると、こうなるのか……、と。