こうちけん…
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杜崎と
松野が紡ぐ
恋(濃い)草子
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海の日。
おおよそ十八年の刻を経て、その封印が、静かにヒモ解かれた。
ある、高校生たちの青春期を描いた海洋恋愛譚のアニメ映画の話。
<海がきこえる>
名前だけは知っていたけれど、一度も見た記憶が無いと思ったら。
先日の金曜ロードショーが、事実上、初の再放送とかで。
一応、ジブリ作品の一翼、……と、云うコトになっているけれど。
黒歴史、と云うか、無かったコトにされているっぽい雰囲気。
正直、ボクとしては。
ジブリ映画、として見た感じでは。
『千と千尋』よりも面白かった印象が、強烈なのですけれど。
いや、逆か。
『千と千尋』が、郡を抜いて、つまらなかったのか。
まぁ。
ジブリのネームバリューの重圧に縛られない、自由性が素敵でした。
(宮崎駿氏いわく「若手の育成を目的とし、重鎮は一人も参与していない」)
老害に邪魔されない奔放性、と、若さ故の未熟の坩堝。
ジブリ作品としては、一番「深い」のかも、とか思いつつ。
えーと。
作品概要。
高知県を舞台とした、ある、二人の男の子のライトなBL展開。
そこに、東京都から転校して来た美少女が乱入して来て。
韓国ドラマか日本の80年代トレンディドラマ、みたいな、三角関係の泥沼に。
武藤里伽子。
80年代型の高飛車、あの時代の「美少女」像の一般的な模倣。
今のモノサシだと、ワイドショーで「ツンデレ」と薄評されるタイプの無個性。(笑)
(アニメ誌やネットでは「アレはツンデレとは違う」と無視される系統)
精神構造は、初期の小笠原祥子さま、……に、近い。
松野。
メガネ男子。オタクっぽさが無く、機転と融通の利く勉強小僧。
里伽子に惚れるも「高知弁の男は下品でゾッとする」と拒絶されて、玉砕。
……、が。
アニメ版では、始終、里伽子よりも杜崎クンのコトを重点的に気に掛けていた。
杜崎クン。
スタジオジブリ然とした、アグレッシブな無口。
口喧嘩になると粗野乱暴に見えるが、それは高知弁のイントネーションによる妙。
広島弁や大阪弁だったら、また、別の角度で粗野乱暴に見える、みたいな感じ。
平成機軸の標準語だと、たぶん、ただのイヤミな御節介キャラになる。(笑)
高校時代、まだ、双方とも交際すら認識していない身の上にも関わらず。
松野から、サクッと里伽子を寝取り。
保護者公認の下、おなじホテルの一室で一宿一飯を共にした関係ですけれど。
……ィャ。
「寝取り」っても、性的な肉体関係は、一切、無いケドな。
ともあれ、里伽子と時代錯誤でプラトニックな恋愛関係を発展させるモノの。
アニメ版では、何かに付けて「松野」「松野」「松野」。
途中から、言い知れぬ妙な雰囲気を感じたので。
「コレはボーイズラブだ」と割り切って、最初から見てみたら。
斬新と云うか、鮮烈と云うか。
ボーイズラブとして見たら、すごく、人間関係が面白く見えました。
異性恋愛よりも同性友情の方がウェイトが大きい、青春期初期のメロドラマ。
オトコ二人の若々しい結束に、介入の余地も無く、当惑する美少女。
で。
「結局、こうなるよね」って感じの、現実性に長けた妥協的な結論。
里伽子は、成り行きで世話になった杜崎クンに依存。
松野は、ただの高校生の失恋与太話として、心のキズを自己回復。
杜崎クンは、松野の面子を気にしつつ、主人公の役得に乗じて里伽子とゴール。
普通に見れば「何だコレ」って感じの安物恋愛アニメ、なのですが。
コレをジブリが作った、と言われたら「無いわー」なのですが。
視点を、ほんの少しだけ、オタク寄り(腐女子寄り)にズラして見ると。
男と男の関係ってのも、多岐に渡り、複雑なんだなー、……と。
なるほど。
池袋を基点とした男×男の文化が繁盛する道理も、納得。
秋葉原を基点とした女×女の文化が繁盛するのと、両天秤。
つーか。
男×女の普通の恋愛を直視しろよ。世のオタク。(含む、俺。 / 笑)