べほいみ…

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愛と正義と新感覚の癒し。


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あいとせいぎと
しんかんかくの
いやし


(2+1+3+1)+7+3 = 17。


変則定形17文字の俳句、季語は「魔法少女」。
……ィャ。
上記の一句には「魔法少女」って単語が入ってないじゃん?(笑)


シャフトのアニメってのは、毒々していて、ギスギスしています。
絶望先生』や『ef』など、大味を問わず繊細を問わず、人間毒の演出に関してはスゴイです。
悪意、羨望、嫉妬、憎悪、そうした心のスキマを視覚的に演出するスペシャリスト。
反面、『ネギま』や『ぱにぽに』など、毒が副軸の作品では、それが出にくいワケで。
毒が主軸の作品でなければ、只の萌えアニメとして一過性ブームしか呼び起こせません。


京アニのアニメが、清々しくて、ゆるゆるしているワケでして。
Kanon』や『CLANNAD』に代表される様に、人間美を演出させると感動必至です。
あらゆる禍福が同等であり、だからこそ、平坦こそが愛しく尊い時間である生活賛美。
否、平穏や平坦を否定して刺激(ギャグ)を主軸とする作品とは、どうにも相性が悪いらしく。
らき☆すた』や『涼宮ハルヒの以下略』など、過熱の割りには冷却も早いってな事になります。


ともあれ、二本柱と云うか、双璧と云うか、東西横綱と云うか。
双方が双方とも、切磋琢磨とハウリングを繰り返して成長と躍進を続けて。
お互いが、お互いに、それぞれの無いモノを目指しているワケなのですが。


無論。
オタクにして見れば、双方に信者とアンチが集るってのは、常理でして。
ボク自身「ひだまりは京アニらきすたはシャフト」みたいな一元的持論があり。
そうした他者の個人的意見ってのは、色々と、見ていて面白かったりするワケでして。


魔法少女まどか☆マギカ


真っ先に、直感的に感じたのは「コレは京アニ寄りじゃん?」、と。
日常の全否定から始まり、逆算的に日常へと回帰していく、生活賛美。
『ひだまり』は京アニが良い、……みたいな。


そりゃ、『ひだまり』がフラッシュバックするのも当然でして。
キャラクターデザイン原案が、あの、蒼樹うめセンセなのですから。


しかし、大看板の「魔法少女」。


桂心とか、藤堂志摩子とか、小早川凛子とか、水無灯里とか。
オマケドラマ、みたいな感じで、話のネタとして突発する企画の一抹。
いわゆる商売目的の、狭義のアキバ系な意味合いを込めて。
アニメイトとらのあな、そうした場所にポップとして掲げられる看板、みたいな)
…………、では無く。
ヤッツケのスピンオフまがい、では無く、本家本元がっつりクールを組んでヤる、とか。
総監督の新房さんが『ひだまり』の主犯核じゃん、とか。(…主犯? / 笑)
各所の宣伝で連呼され、暗黙のウチにスリコミがインプリンティングされた、とか。
(『ひだまり』の蒼樹うめ先生がキャラクター原案の……、みたいな感じで情報吸収)


まどかマギカ』と『ひだまり』の両天秤は、何て言うか。
それこそ、新房シャフトの思うツボ、だと思うのですが。
目的が話題性の誘発であれ、宣伝のための撒き餌であれ。
あるいは、表現技法の新しいアプローチの一つであれ。
何にしても、「新房×ウメス」って時点で、もはやネタの拡大の余地が無い磐石の王道なのですが。
(詳しいヒトは、さらに脚本家も交えて『スマガ』と絡めて考察していたりしますけど)


ともあれ、そんなこんなも含めて。
改めて、痛烈に、個人的に、思ったコト。


まどかマギカ』のキャラクター原案は、氷川へきるセンセが良かった。


日常の全否定から、日常の肯定へと逆走する作品コンセプト。
シャフトの持ち味である、「毒」。
魔法少女』の在り方に対する、問題定義的な挑戦状プロジェクト。


なんか、氷川センセが、新感覚(中略)べホイミちゃんで言わんとしているコトを。
まどかマギカ』が、代弁的にヤろうとしている様に見える。
「しっちゃかめっちゃか」なんて単語も、ありますが。
あの、落ち着きの無い取ッ散らかりっぷりは、氷川センセの絵だと、アートになる気がする。
魔法少女として、「魔法少女」として。


なんつーか。
コレが契機になって、べホイミが奮起してくれるコトを切と願いつつ。(笑)


愛と正義の新感覚、癒し系。
ホイミが邁進する修羅の道を追随する、後身。
……鹿目まどか、と、鈴原未来、は、コンセプトが重なるんだろうなぁ、ボクの中で。