だてなおと…

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伊達直人
伊達なオトナの
贈り物???


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成人の日。
大人の実意と、誠真(誠心)について。


唐突ですが、アナタの実名だか本名だかを教えて下さい。
……とか、言われて。
コメント欄に、実名や本名を書くヒトは、まず、いません。(笑)
個人情報の意義が重視され、些細なヒントの露呈が犯罪の引き金になり得る自今。
ネット上のプロフィール項目に本名を記載するヒトも、少なくなりつつあるワケで。


では、逆に考えましょうか。
一体、ヒトは、どう云う状況に於いて実名を表するのか。


良いコトをした時?
例えば、結婚したとか、子供を産んだとか。
悪いコトをした時?
例えば、万引きが見付かったとか、交通違反(一方通行を逆送、など)したとか。


本名を示唆する、……ってのは、もの凄く、大事の様にも思えますが。
存外、それほど難しい話でもありません。
携帯電話の契約に関する書面、各種保険の成約に関する書面。
学校でのテストの答案用紙、保護者会や学級懇談会への参加・欠席の返信。
何がしか、友達や家族に、荷物や手紙を配送する時の郵送手続き。
…………、などなど。


一体、『本名を示唆する』って行動には、どんな社会的意味があるのか。
答えは、単純。
ウソや冗談を完全封印し、真実誠意である事を、証明するため。


無論、中には、その真実誠意を逆手に取って詐欺に使われるコトもありますが。
それは、極々、例外的な事例であり。
一般常識的には、本名を通してヤリトリされる情報は、真実です。
自分の行為にウソや偽りが無いコトを、もっとも端的に証明する手続きです。


良いコトをした時も。
悪いコトをした時も。
その行動をしたのが自分である、と、厳然と実証するための手順です。


…、で。
最近、日本各地に出没する、いわゆる「タイガーマスク」(伊達直人)。
中には「ヒバクシャ」だったり「サンタ」だったり、名前こそ異なりますが。
その行動が親善か偽善か、方々で、様々な物議を呼び起こしていますが。
そして、ボク自身、山ほど思う所もありますが。
ボクの心情は言外すれば不快を押し付ける悪態なので、自重します。


ボクの心情のヘソ曲がりな悪態とは、裏腹に。
誰かの幸福のために、誰かが手を差し伸べる、……ってのは。
見習うべき「徳」である、と、二律背反として反省したりもします。


ただ、総じて。
いわゆる「タイガーマスク」(伊達直人)を名乗り、善行を公使する人々。
なぜか、彼らの善行は、本名では無く、偽名を介して行なわれます。


マスコミは「謙遜の美徳」と絶賛してますけれど。
本当に、謙遜ですか?
本当に、美徳ですか?


なんて言うか。
その善意が、実意であり、誠真であり、真心であるのなら。
なぜ、本名により誠意を証明しないのだろう。


それが、不思議です。
まるで、何か、疚しいコトをコソコソをやっている感じに見えて、嫌です。
「子供たちにランドセル贈る俺って、カッケー!」なんて自己陶酔、みたいな。


子供たちを喜ばせる行為に懸命な自分の生き様に、陶酔する。
そんな、ヲトナの不誠実を垣間見て、不快の極みです。
結果論としては、多くの子供が救われた「徳」に対する尊意も踏まえて。


「思いやり」の大切さ、も、天秤に掛けて。


その善意の天秤には、確かに、二つの笑顔と幸福が乗っているのですが。
その目的は、子供たちの笑顔と幸福のためなのか。
その目的は、ヲトナの満足と愉悦のためなのか。


それが、分かりません。
だって、偽名でやってるから。
実意誠真に対する大人としての責任「本名の表記」から、逃げているから。


本当に、子供たちのためを思っての行動なのであれば。
子供の顔を見て、自分の名を名乗り、手渡してあげる方が、善良です。
そうする事によって、子供たちに「心」が届くから。
子供たちが何よりも欲しているのは「心」なのだから。


なんて云うか、日本は裕福な国家なのですが。
ああ、だから誰一人として幸福になれないんだなー、と、思ったり。
見せ掛けの、瞬間的な、すぐ消える、一瞬の心地良さは、あるけれど。
「心」が充足と安心を得られない国なんだなー、……って。