いばらきどうじ…
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旧フジテックタワーの存在を知る人々が生活する界隈。
国道171号線沿線、JR京都線では岸辺駅より東寄り。
あるいは。
大山崎から高槻の界隈も踏まえて、酒呑童子のお膝元かも知れませんが。
ロンドンブーツ、ナインティナイン、の、由縁の地。
<Kanon>
本筋は『ぬらりひょんの孫』ですが、本旨は『Kanon』。
なんだか、ややっこしい話になりますが。
持論。
見目が人間タイプの妖怪は、たぶん、原典も「普通の人間」だった気がする次第。
オーガやトロール、が、人智を超えた肥満のヒトだったり。
ドワーフやノーム、が、腕は良いけど人(性格)の悪い、職人お爺ちゃんだったり。
エルフやピクシー、が、お忍びで全裸で水遊びに興じる貴族の淑女だったり。
魔女にしても。
子供を拉致して(十八禁)ってのは、実際にあったと思うワケで。
あるいは、痴女が性戯に更けるための性奴隷だったり。
あるいは、狂気の沙汰による愉快殺人や食肉嗜好だったり。
逆に。
あるいは、純然たる善意による、児童福祉だったり。
(児童福祉員の訪問を煙たがるモンスターペアレンツが「人さらい」と誹る、みたいな)
あるいは、単純な老人と子供の微笑ましい会話が数奇で異様に見えただけ、だったり。
価値観の多様化した『今』で見れば、違和感の無い情景が。
価値観や知識が限定的だった『昔』で見れば、常軌を逸する大事件であり。
……そうした事変が、都市伝説に広がったのが、モンスターや妖怪のルーツだと思います。
ぬらりひょん。
山陰地方に広まる民承妖怪で、日本妖怪の頂点的存在(総大将)、……と、される。
ただ、妖怪としては何か具体的に悪さをするワケでも無く。
他人の家に勝手に上がり込み、縁側で茶を催促して、悦に更ける、とか。
そりゃ「見ず知らずの老人なんだから、さっさと追い出せよ」ってな話なのですが。
人徳と云うか、オーラと云うか、得も言われぬ不可思議な雰囲気で、周囲を圧倒して。
「……まぁ、いいか」って、勝手な居座りを許してしまう。
現実の尺度で、逆算すれば。
老人性痴呆症、認知症、アルツハイマー、などに侵された老人なのでしょう。
邪気も、毒気も、悪気も無い、無心、……だからこそ、言い知れぬオーラを感じるのか。
ひょっとしたら、無理に追い出そうとして、発狂して刃傷沙汰の事件があったのか。
何にしても。
「あそこのお爺ちゃんはヤバイから無視しとけ」みたいな感じの存在であり。
認知症で勝手が酷くなり、始末に追えなくなった老人こそ、『ぬらりひょん』の原典かなぁ、と。
今のモノサシで見れば、ボクの発言は、ものすごい病理に対する偏見と差別です。
が。
そうした倫理と道徳が無視されていた時代のモノサシから、逆算して考えれば。
そうした差別と偏見が、人間タイプの妖怪を生み出すに至る原典となった、と云う持論も。
賛同はできないにしても、反論の余地も無いでしょう。
ともあれ。
九十九(つくも)、獣神、鬼、悪魔、霊、などなど。
凡そ、すべての妖怪は、ことごとく人間の妄想の産物であり。
その発祥の土台は、すべて、即物的な逆算の余地があるのですが。
なのですが。
「日本妖怪の総大将」とされ、格別、上位として畏怖される『ぬらりひょん』。
ただでさえ、日本は、八百万の神々が痴話喧嘩を繰り返す国家であり。
民間伝承に起因する創作(オリジナル)神が、次々と誕生し。
完全にアメリカナイズされ、科学による思想統治が完遂した昭和を経て平成の今も、なお。
「トイレの神様」「ムラサキカガミ」と言った、新説の九十九神が都市伝説として発生する坩堝。
……で、フッと思ったのが、妖怪の序列と実力の話。
話が長くなるので、以降は次回に持ち越しますが。
いったい、何が、どう「ぬらりひょん」から『Kanon』に繋がるのか。
ヒントは、『おとめ妖怪ざくろ』。
そして、1月6日が誕生日の、あの牝狐。
「すべての妖怪は、俺の背後で百鬼夜行の群れと成れ!」
すべての妖怪が、果たして、ぬらりひょんの統括に従属する可能性があるのか、否か。
<つづく>