まいぴくと…

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マイピクと
お気に入りとは
違うのか?


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どちらかと云うと、ボクは。
自分の絵を見てもらう事よりも、他の人の絵にコメントを添える方が好きなのですが。


何のコダワリに寄るモノなのか、知りませんが。
pixivでは、一切、コメントに手を出していなかったりしまス。


殊、別所で交友のあるヒトに対しては。
何がしか、コメントを送るのが礼儀なのかしら、とも思うのですが。
逆に云えば、ボクの絵に対して何がしかコメントが添えられるワケでも無く。
また、そのコトに関して何とも思っていない自分がいるワケで。
(あくまで、安定的に量産した小ネタを並べ置くための画庫)


だから、お絵描き掲示板などの作法とは、毛色が異なったとしても。
それがpixivなのかなぁ、……とか、呑気なコトを考えているワケなのですが。


pixivを使っていて、気になったシステムが、二点。


一つ、評価。


誰かの作品に、誰かが点数を付けるコトができるシステムです。
当然、上手なヒトは点数が高く、下手なヒトは点数が低く。
否。
美術的な高下だけでなく、発想力や独創性など、評価のモノサシが多岐に渡るワケで。
一人の絵師さんの作品を並べみて、その評価のバラツキが興味をそそるコトもあるのですが。


が。
ボク自身、他人の絵に評価したコトは、只の一度も無いワケで。
自分の絵を評価してもらうにしても、他人の絵を評価するにしても。
なんつーか。
点数をもらうヒト、点数を付けるヒト、それぞれ何を考えてるのかなぁ、……と。


音楽にしても、そうなのですが。
何がしか、自分の活動に対して、可視評価を貪欲に求めるヒトがいます。
(コンクール入賞や、定期演奏会の観客動員数など)
無論、そんなモノに何の興味も無いヒトだって居ます。
自分が楽しいからヤっているだけで、それを他人がどう見るかなぞ考えた事が無い。


で。
活動の結果に可視評価を求めるヒトなら、いざ知らず。
何の気も無しに作品を並べていて、知らない間に可視評価されて。
その高下を必要以上に気にして、モチベーションが落ちたりしないのかなぁ、……と。


殊、2009年下旬あたりに。
バッサリと、旧知の知人がpixivを放棄した様子が見受けられるのですが。
何のためにpixivに加盟し、何を思って脱退(放棄)したのかなぁ、とか。
その辺のモチベーションの枯渇時期の一致、と、評価の温度差、って。
何か、因果関係がある気がする様な、気のせいの様な。


それも踏まえて。
二つ、マイピク。


pixivと云うのは、巨大な絵師のSNSでして。
個人的に好きな絵師を「お気に入り」として登録するシステムがあるのですが。
それとは別に「マイピク」ってカテゴリが存在します。


まぁ、友達と親友の関係なのでしょう。
一言で『トモダチ』と言っても、その距離感は千差万別ですし。
極論、ボクの場合。
じょえるさん、sasaさん、だいかんさん、TENDAさん、それぞれの距離が一人一人、違います。
yukkyさん、a-kazuoさん、のーさん、などなど、例を挙げるとキリが無いワケで。
名前を出さないけれど『トモダチ』のヒトもいます。
「どちらかが興味津々、どちらかが無関心」と云う一方通行の関係者も、たくさん居ます。
オンライン、オフラインを問わず。


で、マイピク。
そうした、交友関係の親密度の濃密差を、具体的に客観示唆するカテゴリ分岐。
「特に、私は、この人の事を親友だと思っています」的な。


……何の意味があるのかなぁ、と。


ボクが予備運営している『じょえるの小屋』みたいなモノなのかなぁ、とか。
別段、じょえるさんだけが、ボクにとって特別な存在ではありません、が。
共通項が多い、話題の勘所が似てる、付き合いが長い、などなど。
他の(オンラインの)知人各位と比較して、親密度に決定的な差があるのは自明の理。
それを逆手に取ってネタにしているのが『じょえるの小屋』であり。
ある意味、それが、ボクにとっての「マイピク」なのかなぁ、……と。


「マイピク」として組みし合う人たちの、連携の絆の意義が気になります。
「マイピク」と差別化されて「お気に入り」とされる側の軋轢や寂涼が気になります。


そもそも、友達なのか親友なのかを、カテゴライズとして分轄する意味があるのか。
それが、何よりも、気になります。


半年ほど使っていれば、その辺のサジ加減って、分かるモノなんですかね?
そして、サジ加減が分かった時。
ボクも「マイピク」と「お気に入り」を区分して、トモダチに敷居をくべたりするんですかね?