まがん…
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「真眼」(妄想から醒めた、現実目線)が
見据える先に
あるものは……
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「魔眼」と対義的に掛けて、上記の「真眼」を「まがん」と読んでも良いのですが。
やはり、素直に。
「心眼」に沿い、上記の「真眼」は「しんがん」と読むべきか。
「魔眼」。(もしくは、狭義の「邪眼」。)
……妄想フィルターを介して、世の中を、穿った目線で自己解釈する病理。
「心眼」。
……妄想などの自己解釈を完封して、現実を、あるが侭に見据える覚悟。
ともあれ。
小鳥遊六花、キャラそのものは、すっげー可愛いんですよ。
あんな感じの墓穴の掘り方をするキャラ、好きなんですよ。
ボクが二十代の頃に出会えていたら、『好きテン』永久殿堂だったと思えるぐらい。
ただ、三十路を超えたボクの眼には。
小鳥遊六花、自身のキャラクターの魅力よりも。
「六花って可愛いでしょ♪」みたいな外野の押し売りが、ウザイとしか見えなくて。
……えーと。
……作品のファンの人々の、ミーハー的な一時的狂信が煩わしいのでは無くて。
作者とか、アニメの作り手とかの「こう云うキャラが売れるぜ」って、オトナの打算が、嫌。
京都アニメーション、としては。
折角、いよいよ物語が佳境に入り、みんなが注目している第九話の段になって。
六花とか、もう、どーでも良いから。
そろそろ次作の『たまこマーケット』をヨロシク……、って、言いたいんでしょう?
……そんな感じの「次代が出れば、現行はポイ捨て」の、安物を、さ。
……大々的に、企業のネームバリューを押し付けてゴリ押しされても、ネェ。
言及頻度が高い……、ってコトは、それだけ高く評価しているってコトでして。
『さくら荘のペットな彼女』に比べたら、やはり、密度は濃いです。
腐っても、堕ちても、枯れても、やはり、京都アニメーション。
アニメ会社の老舗の暖簾を背負う、底意地、と、職人気質、は、相応に感じます。
……ィャ。老舗っつーか、むしろ、新進気鋭の部類かも知れませんが。
ただ。
ただ、ね。
作ってる側の人間が。
「放送が終了したら、カテゴリやコンテンツから捨てる」程度の魅力しか感じてないのに。
そんな使い捨てのキャラクターを、見る側には「どうぞ、存分に愛でて下さい」……、と?
それが、なんか、見ていて不憫で「可愛い」より「可哀想」が先に立って。
ぶっちゃけ、素直に愛でる気になりません。
無駄に、シリアスのドラマツルギーを背負わされて。
無駄に、「泣き」の演出を強制されて。
無駄に、それ(「泣き」の演出)を脚色誇張するために、わざとらしい変人にさせられて。
なんだろう。
小鳥遊六花の、心の深淵を、誰も見てあげていない風潮が、気の毒。
それを、視覚的に、人目を引くために。
安易に「中二病」とか言ってる、作り手の非人道が、気に食わない。
げふん。
悪口ばっかり書いてても、しょうがないので。
ポジティブな話も、しましょうか。
他のキャラには、まったく言及していない、当ブログなのですが。
殊、優太の配役に福山潤さんを充てたのは、地味に、神キャストだと思います。
緩急のメリハリ、と云うか、コメディとシリアスを上手に行き来できる、希代のヘタレ。
特に、優太は、コメディパートでも、覇気みたいなオーラを(嫌々ながら)発するヤツで。
「やってらんねー」って雰囲気と、ノリノリ感を、同時に出す……、と云う至難の業。(笑)
……その、ムチャ振りを、サラッと演じ抜く福山潤さんのプロ仕事、流石の一語です。
そして、もう一人。
ボクは、この手の「わざとらしい馬鹿キャラ」が、地味に好きなハズなのに。
当ブログでは、ついぞ、ただの一言も話題に挙がらなかった、名脇役。
デコ守。
金髪ツインテールです、いらん事しぃです、典型的な馬鹿です。
……ええ、大好きです。
……こう云う「オマエ、べつに居なくても良いよ」みたいなキャラ。(笑)
……「むしろ、引っ込んでろ」と思う場面でも、やたらと前に出たがる、キャラ。
なんつーか。
終盤のシリアスに巻き込まれて、立つ瀬も浮かぶ瀬も無く沈んでしまったのは。
個人的に、腑に落ちない点も感じたりするワケですけれど。
(何が、どうあろうと、デコ守は一辺倒の「KY馬鹿」であって欲しかった。)
そんな所にケチを付けても、詮の無い話。
『こんな感じが売れる』を凝縮して押し売りしてるだけの六花に比べれば、マシです。
それは、それとして。
例えば。
道端にバナナが転がっていたら、中身が入っていようとも、豪快に踏み潰してコケる。
あの手の、暴走型の自爆キャラ、どっかで見た記憶があるぞ……、とか思っていたら。
……あー。(笑)
……実際、作者が、言下にインスパイアを受けて複製を作り出したのか、知りませんが。
……よもや、あの手の「濃い」キャラクターが、発想的にブッキングってのも、稀有。
……なるほど、デコ守を見ていて「イラッ」よりも「をゐ。(笑)」が先に立つ理由は、それか。(笑)
いずれ。
半年ぐらい寝かせて、夏に、改めて見たら。
世間で、ほとんど、小鳥遊六花について言及しなくなってから、見たら。
六花が背負っているモノの重さが、何となく、漠然と、分かる気がしつつ。
京都アニメーションが、本当に、作品を通して云いたかったコトは、何なのか。
……それを、冷静に、汲むコトが出来る気がする。