ほしくず…

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宇宙から
人工衛星(ほし)」のカケラが
降る前夜……


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クイックの日。
ハッピーマンデー法に基づく敬老の日2011。


つーか。
敬老の日は、個人的には9月15日しか認めない。
……ィャ。
……「ハッピーマンデー云々で、祝祭日が可変式」なんて発想自体、認めないですが。


太陽の恵みを軸にして、歴々の先達の老人たちが取り決めた、暗黙のルールを。
現代の政治事情の都合だけ考えて、後進の若輩が、手前勝手に動かしまくる。


それを『敬老』と呼ぶのか。平成を生きる人々よ。


<日常>


まぁいい。
そもそも、数理的に生活を杓子定規で区切ろうとするロジカルな発想そのものが、人類の業ではないか。
それを、今さら、敬老の日が何日だと憤慨する方がナンセンスでは無いか?
※ : マッドサイエンティスト中村先生、の、テンション。


……そんなこんなで、みおの失恋話。


……は、別段、至極どーでも良いワケで。(ぇ?)


アニメでは、そのスペックが三割ほど増強されている、メガネ。
兼ねてより、ずっと、引っ掛かっていたコトなのですが。


あの無口、あの鉄面皮、あの不動。
中之条さんは、大福フェアの度に、麻衣を雇えば良いのに、と。


ィャぃゃィャ、違う違う違う、何を言ってるんだ私はっ!
確かに、そう思わない事も無いワケでも無いコトも無いが。
それに関してツッコむなら、一番最初の大福フェアで触れるべきでは無いか。
あれ以来、何人の猛者が中之条氏の大福フェアに果敢に挑み、そして散った?
それを今さら「麻衣だとベストキャスト」などと、不毛にも程がある。
……まぁいい。
※ : マッドサイエンティスト中村先生、の、テンション。


えーと、何の話だ?
そう、メガネ。
アニメを見て、改めて、思ったコト。


将来の夢に関しては、いつもの冷涼たる声と顔色で「弥勒菩薩。」と、はぐらかした麻衣。
コトある毎に、どこからとも無く仏像を取り出しては、ヒトに施して。
その手腕は、まほらば』の黒崎沙夜子に匹敵する、神技の持ち主で。
それを忠実に図像化できる、京都アニメーションは、すごい組織だと思いつつ。


で、思ったコト。
水上麻衣、の、進路。


仏師。


それこそ。
仏像マニア、二条乃梨子を唸らせるほどの御仏を作り出すコトも侭なる気がする。


「日常と云うモノは、ひょっとしたら、一秒一瞬の奇跡の連続なのかも知れない」みたいなコトを。
今さら、取って付けた様に、美談よろしく力説されて。
やっぱり、京アニの悪癖は変わってないんだなー、とか、思いつつ。


例えば、9月20日あたり。
地球のどこかに。
人工衛星のカケラが墜落して、人間に当たる危険性が危惧されている、など。


世界は、自然は。
漫画家の素っ頓狂なナンセンスよりも、さらに予想外の事態を巻き起こし。
その結果は、時に、未曾有の悲劇と惨劇にも直結する、真面目で深刻な事態でもあり。


そうした「塞翁が馬」の一語では、とても片付けられない深刻な現実を見据えて、なお。
京都アニメーションは、あらゐけいいち氏の『日常』を介して。
一刻一瞬、一秒の大切さを、世に訴えようとしたのだろうか、……とか。


製作期間に追いつ追われつ、カレンダーと時計しかみていない連中が、寄り集まって。
「一刻一瞬、一秒の大切さ」 = 『日常』の重みの哲学を主張した所で。
その論旨は、結局、誰の心にも届かないのでは無かろうか、……などと。
いつぞ地球に降って来るとも知れない、人工衛星のカケラを見ながら、考えたワケですが。


願わくば。
数日後に墜落するであろう人工衛星の欠片は、誰に被害を与えるでも無く。
クリエイターには空想の余地を、退屈な人々には笑い話のサカナを。
その程度の「一刻一瞬、一秒の奇跡」 = 『日常』であって欲しい、と、切望しつつ。


鮭が飛び、赤ベコが舞い、コケシが降って来る。
そして。
役目を終えた人工衛星のカケラが、空から降って来る。


それも、また、『日常』だよね、……と。


世界中の友達同士が、軽いノリで談笑し合える、そんな世の中であらん事を切望する。
それこそが「一刻一瞬、一秒の奇跡」だと思う。
漫画家、あらゐけいいち氏が『日常』の一語に託した、真意だと思う。