せーぬがわ…

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足元に
流れる川は
セーヌ川


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十九世紀、パリ。
その頃のパリって街が、どれほど混沌とした文化のカオスだったのか、は。
ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』を聴いて頂ければ、想像も出来よう。


……ィャ、まぁ。
……『パリのアメリカ人』は1920年代のパリを描いた狂詩曲であり。
……湯音がやって来た時代より、五十年ほど未来なのですが。(笑)


現代日本で見れば、50年の時間差って、それほど大差は無いワケで。
ファミコンが誕生して、3DSにまで激進化したり。
黒電話が、スマートフォンへと革命的変貌を遂げたり。
黒円盤のドーナツレコードが、電子配信の無形音楽にシフトしたり。
部分部分で見れば、まったく、様相は異なりますけれど。
建ってるビルの数と構造強度は違っても、その本質は一緒、とか。
その中で蠢いている人々の感性と価値観は違えど、存在意義は同等、とか。


『文化』として見れば、昭和後期と平成二桁は、まったく違いはありません。
核家族で親族一堂が点々バラバラに散り、盆と正月に改めて一堂に介する。


異国迷路のクロワーゼ


えーと。


物語の舞台は、一応、地理的には、パリらしいのですが。
そりゃ、平成二桁の時代に、日本人が妄想で描いた歴史叙事詩ですから。
ガチで考察する、……ってのも、どうかと思うのですけれど。(笑)


良く良く、見てみると。
フランス人が、ほとんど、いないんじゃないか、……みたいな。
そんな、奇妙な錯覚を感じてしまった不思議。


湯音
楚々、清楚、しかし、芯が強くて「和」と「温」を尊重し、家族性に依存。
典型的な、時代の枠に囚われない『日本人』の良的かつ平均的なイメージ


クロード。
無骨、ニヒル、職人気質。ただ、気の利いたブラックジョークに秀逸。
鉄を扱う時の目線が、どう見ても『ドイツ人』に見える不思議。


オスカー。
軟派のスケベ。性格は陽気で軽いけど、職業本域では実績でモノを言う。
クチの軽さと女ッ気にそぐわぬ職業態度と実績から『イタリア人』の匂いがする。


アリス。
異文化ばっちこい、ゴーイングマイウェイ。自由奔放の手前勝手。
否。
異論や異質に対してポジティブな受容も可の『アメリカ人』っぽいリベラル。


カミーユ
清廉、潔白。ただし、氷血の鉄面皮で、真意や本意は完封。
個性を捨てて時代や周囲に睥睨する自棄は『ロシア人』に近い忍耐。


エドガール。
執事。それ以上の説明は不要ってぐらい、徹底的に、執事。
もう、絵に描いた様な『イギリス人』紳士のディフォルメ。(笑)


強いて言うなら。
クロードの隣で店をやってる、アランが『フランス人』っぽい。
温厚で、呑気で、どこか人生を投げてる感じのアンニュイ。
でも、世捨て人では無く、文化や人間性を大切にして賢明に生きる。
(懸命、では無く、賢明)


ああ、あと。
湯音の姉、汐音。
なぜか、あの人こそが、まさに『仏蘭西人』だわ、とか。
一瞬、妙に、痛烈に錯覚してしまった不思議。
線が細く、物腰が柔らかく、透明感のある、能登声。
……。
能登麻美子さんが中の人である事と、フランスどーこーは、無関係じゃん?(笑)


なんだろう。
パリジェンヌと大和撫子って、本質の部分が似てるのかしら。
あるいは「姉」として、あるいは「富豪に囲われた深窓の令嬢」として。
アリスの姉のカミーユと、対比的なオマージュとしての意味があるのかしら。
上記では、カミーユお姉さまの事を『ロシア人っぽい』とか書いてますけれど。
パリジェンヌ、……と云うよりは、ロココ時代かゴシック時代の貴婦人ですもんね。
本当の意味でのパリジェンヌは、むしろ、アリスの方が近いのかも知れない。



……ィャ、まぁ、どう考えても、アリスは。
アメリカ的なプリティウーマン(じゃじゃ馬)にしか見えませんが。(笑)